2019年05月31日

音楽の「中」へ、音楽の「外」へ

当ブログは2013年5月に始まりました。そもそもはDTMがはかどらない私なんくいが
見切り発車的に始めたブログなんですが、徐々に色んな企画を始めるようになって
きています。その方向性を要約すると、この記事のタイトルになります。

私はDTMerを志している(ちょっと開店休業状態ですが・・・頑張ります)こともあり、
音楽の作りかについては一応それなりの知識はあります。その知識をオープンにする
という目的で、音楽理論などの記事を書いてきました。しかし、これはブログで記事を
書くことで分かってきたことですが、音楽を作るという目的以外にも音楽理論に需要が
あるようなのです。つまり、音楽をより深く理解するために音楽理論が助けになる。

私はそもそも、音楽を作ることと聴くことを分けたくないと思っています。もっと気軽に
音楽を「作る」とまではいかなくとも、その手前の行為に親しむようになってほしいと
思っていますが、それは段階的に進めるべきだろうなあとは考えています。ただ、
音楽理論などで、好きな音楽をより深く「理解」しようとする試みは、その一歩に
なると思っています。

そんな私の思いを今回「音楽の「中」へ」という言葉で表現してみました。人が音楽を
気に入る時は、その音楽の中に入り込むことが出来た時なのではないかと最近思います。
この詳細はいずれ書きますが、音楽の「中」に入り込むことを助けるコンテンツを充実
させたいなあと思います。

それと同時に、音楽の「外」へも目を向けたいと考えています。自戒を込めて書きますが、
音楽好きは音楽を社会から独立させて考えるクセがあると思います。しかし、音楽を
初めとするエンタメコンテンツは、社会と独立して存在することは出来ません。

ですから、私達の好きなものを守るためにも、音楽の「外」にあるものにも関心を向けて
いきたいなあと考えています。と言いつつも、地に足をつけることも大事。音楽好きに
とって、音楽と社会との接点で問題になる主たるテーマは「著作権」と「表現の自由」の
2つのテーマだと考えます。これらについても、このブログの大きな柱として記事を
書いております。

そういう趣旨で展開しているブログです。末永くよろしくお願いいたします。
posted by なんくい at 00:00| Comment(0) | あいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月23日

MY平成ソング#3 ソウル・フラワー・ユニオン「満月の夕」

間もなく平成も終わるということで、急遽連載しています。
個人的に平成を代表する曲だと考える曲を10曲挙げてその曲に
ついて、そして平成という時代について語るという企画です。

記事に入る前に、面白い記事を紹介しておきましょう。
石丸元章 『危ない平成史』#01 絶望から始まり絶望で終わった平成の音楽産業・前編 Guest|sinner-yang from O.L.H.

初めて知る話もありますし、面白く読ませていただきましたが、
ここで語られる音楽観は一面的だと考えます。粗製乱造と乱暴に
要約している音楽の中に豊かな果実があるんだということを、
声を大にして言いたいですね。(この連載自体は、ちょっと規格外
な曲ばかり取り上げますけども)

今日取り上げる「満月の夕」は、これまでにも取り上げたことが
ありますし、私が取り上げなくても、平静を代表する曲として
方々で取り上げられるであろう名曲でしょう。

私としても、こういう企画になると絶対に外せない曲ですね。なんなら
1曲としてもこの曲を上げる可能性が高い。それくらい決定的な曲と
言えます。やはり阪神大震災そして東日本大震災は平成の歴史の中でも
大きな節目だったと言えるでしょう。震災という大きな出来事という
だけでなく、これがきっかけに色んな事が問われ、色んな事が表面化
したという意味でも大きかったのではないでしょうか。

それは、音楽の力という意味でも色々考えさせられる事態でしたし、
その象徴と言えるのが、阪神大震災後のソウル・フラワーの面々の
活動だった。社会批判をロックに乗せるこれまでの彼らが、ただの
書生臭い奴等でなく、いざという時に「動ける」人達であった。
それが、今日まで続く彼らへの信頼の源泉になっていると思います。

また、音楽的にも、ソウル・フラワーになってから導入し始めた民謡
という音楽性が、頭でっかちなものでなく本当に彼らの血肉になった
のが、震災からのモノノケ・サミットの活動だったと言えるでしょう。

ただ、そういう総括は今日的な視点にたってのものであって、当時は
彼らのチンドンのアプローチには懐疑的な声も(彼らの熱心なファンほど)
大きかったのは事実です。その辺の事情も記事にしたことがありますので
詳細はそちらを読んで頂いて、その面から言ってもソウル・フラワーは
平成の日本の音楽史において重要な位置を占めると思いますね。

そして、そんな活動の中から生まれた「満月の夕」は、ヒットチャートとは
別のところで、まさしく平成を代表する1曲になったと言えるでしょう。
そういう曲ありますよね。今回の10曲からはもれましたがThe Boomの
「風になりたい」もシングルヒットはしていないんですよね。それは、
色んなアーチストに取り上げられるというのもありますけども。やはり
震災を代表する曲ということで、取り上げられることも多いのでしょう。

先の記事でも触れましたが、この曲はそうる・フラワーのバージョンと
ヒート・ウェイヴのバージョンで歌詞が違う。というよりスタンスの違い
なんですよね。当事者として活動しまくっていたソウル・フラワーと、
東京からテレビを見ていたというヒート・ウェイヴと。ただ、盟友の
山口さんも、後の関東大震災では思いっきり当事者として活動するの
ですが、これはまた、いずれ記事にしたいなあと思います。

平成を代表する名曲「満月の夕」いかがだったでしょうか。色んなことを
語れるのですが、この記事がそのきっかけになれば嬉しいです。
posted by なんくい at 12:05| Comment(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月17日

ピエール滝逮捕に関するあれこれ

書かないで済ませられるのなら・・・と思っていましたが、
やはり逃げていてはいけないですね。気持ちを奮い立たせて、
書きます。

最近はどこも「ピエール滝逮捕」一色ですね。それはそれで
問題あるだろうと思いますが、これをめぐるあれこれについては
今の日本のダメなところが凝縮されているように感じてきました。

もちろん私は電気グルーヴが大好きですし、大いに影響を受けてきた
身ですから、というのもありますが(でも、最近の30周年のあれこれ
には、完全に乗り遅れていました。「ウルトラの滝って何?」という
くらいに)ワイドショーとかでの報じられ方には、ほぼ見聞きしない
ですが、断片的に聞こえてくる話を聞くたびに怒りをおぼえてしまう
というのが正直な気持ちです。「お前らに電気の何が分かるっつう
んだ」というのは、完全なるファンの僻みですから思わないように
していますけども。

彼らのことを多少なりとも知っている身としては、そりゃあ一報が
飛び込んできた時には驚きましたが、クスリに関しては「彼らのこと
だから、まあやってるだろうな」と思っていました。ただ、今日の
彼らのおかれている社会的立場から、さすがに違法なことはやらない
だろうとタカをくくっていました。合法な海外でやるとか。ただ、
「よりによってコカインかよ」という幻滅はありますね。捕まる薬物
としては、覚せい剤以上にダサいでしょう。

ちなみに、薬物に関しての私の考えは以前書きましたので、そちらを
参照ください。薬物を肯定していると思われても困るので。
「音楽とドラッグ」について、逃げずに考えてみる(その1)
「音楽とドラッグ」について、逃げずに考えてみる(その2)
「音楽とドラッグ」について、逃げずに考えてみる(その3)
「音楽とドラッグ」について、逃げずに考えてみる(その4)

でもまあ、電気グルーヴのお二人については、常人の物差しには当てはまらない
と思っているので、クスリに関する常識も彼らには簡単に当てはめられないなあと
慎重になります。かといって罪を肯定しているわけではないですよ。それに、
芸術家は治外法権だという話ではありません。滝さんも日本社会の中で活躍している
以上、違法なことをして捕まった重みは平等です。ただ、アホなコメンテイターが
「気持ちが弱かったのかなあ」とか安易な推測をしているのは慎みたい。それだけです。

ちたみに、電気グルーヴについて以前書いた記事も紹介しておきます。図らずも
「表現の自由」に関する記事ですね。でも、これによって彼らの本質というか、私が
彼らの表現から目を離せない理由については書いております。
電気グルーヴの歩みから考える「表現者の責任」論

さて、そろそろ本題に行きますか。今回の逮捕を巡って、滝さんの出演作品とか
電気グルーヴの過去作が自粛という、またどこかで繰り返された話が始まっております。
ただ、これに関してはこういう動きもあり、以前よりは状況が変わってきてはいるの
でしょう。
電気グルーヴの音源・映像の出荷停止、在庫回収、配信停止を撤回してください

この件に関しては以前に意見を書いたこともあり、そこから基本的には変わっていません。
ただ、今回の件を見て記事の冒頭で簡単に振れるだけでなく、もう少し色んな角度から
検証してみようと思います。先ほど「日本の良くないところが凝縮された」と書きました
が、これも局地戦の一つかなと考えるので。

作品の自粛や回収については、ソウルフラワー・ユニオンを始め色んな表現者が反対の声を
上げていますが、一方でこういう意見もあります。
松本人志 “作品に罪はない”に異論「場合によってはドーピング作品になる」

ドラッグに関する私の考察を読ませた後でこれを出してもアンフェアだろう、とお思いの
方もいるかも知れませんが、こういう意見があることも尊重したいと思います。ただ、
これをあの松ちゃんが言うとは・・・と感慨深いものがある、とだけ申しておきます。

それなら、同じ時間帯に発言した爆笑問題の太田さんの方がブレていないでしょう。
爆問・太田、ピエール瀧容疑者に「ルール違反」も持論「芸術は悪い面と良い面を引き離せない」

ブレてないですし、深みも増していると思います。むしろ私は、単純に表現の自由の
観点から「作品に罪はない」とか言っている人にこそ、太田さんの意見を噛みしめて
頂きたいです。悪影響とかも引き受けた上で肯定の意見を出さないと!

では、私のスタンスは、というと以前に書いたこの考察が、考えを前に進めるヒントに
なると考えます。(今回も、自分が以前に書いたこの記事に助けられました)
表現の「不自由」はどこで生じるのか

表現規制というのも、色んな立場や考えの人がいることで生じるもので、その中でどう
折り合いをつけていくのか、というのが表現の自由を守るということであるべきです。
ましてや、先の記事に書きました通り、電気グルーヴこそ、その最前線で闘ってきた
戦士だったわけですよ。

しかし、今日の過剰な自粛ムードには、コンプライアンス社会という、今日の他罰的な
社会的気分が背景にあります。それは、社会の流動化が進み、多様な価値観がより
「混ざりやすく」なったが故の軋みという側面もありましょう。

電気グルーヴが最前線の戦士だった、と書きましたが、近年の安定した活動は、理解度の
高いファンによって「守られてきた」面も無きにしも非ずだと考えます。そこで、今回の
騒動を経て、世間に「見つかっちゃう」可能性も、なくはないでしょう。

だからこそ、そういう世間の流れに抗いたい、闘いたいという気持ちが私にはあります。
ここが頑張りどころで、表現を巡る状況を少しでも良い方向に変えていきたいのです。

今回、題材が電気グルーヴということで、表現の自由を唱えるのに相応の覚悟と理論武装が
求められるだろうと思います。安易に乗っかって欲しくない。表現するもの、表現が好きな
人として、どういう未来が望ましいのか、自分の問題として考えた上で、闘いたい。意見は
違っていて構わないので、その覚悟を共有できる人が一人でも増えることを望みます。

最後に、これからの電気グルーヴについて。完全にファン目線の私見を書きます。
彼らの代表曲に「N.O.」という曲があります。こういうことになったので音は
貼れませんが。歌詞は一部後で引用します。この曲は言ってみれば彼らの「原点」
と言える曲で、この曲を今も「恥ずかしくないから」と言って歌えるというのは、
彼らが今もこの気持ちを抱き続けているのだと言えるでしょう。
 学校ないし 家庭もないし
 ヒマなないし カーテンもないし
 花を入れる花ビンもないし
 イヤじゃないし カッコつかないし
彼らが色んなものに毒づいたりするのは、別にそれらの上に立っているのではなく、
根底に「自分には何もない」という底辺の気持ちがあってのことで、それが彼らの
表現の信頼性を担保してきたのだと思います。

しかし、根底にその思いがあるとはいえ、最近の彼らは地位も名誉も手に入れた存在
ですし、それを彼らが引き受けることで現在の深みが出ているとは感じます。ただ、
今回図らずも「何もない」状況に追い込まれるかも知れなくなる彼らが、それを糧に
どういう逆襲をするのか。ファンとして気長に待ちたいと思います。
posted by なんくい at 21:33| Comment(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする