2018年02月28日

音楽の「中」へ、音楽の「外」へ

当ブログは2013年5月に始まりました。そもそもはDTMがはかどらない私なんくいが
見切り発車的に始めたブログなんですが、徐々に色んな企画を始めるようになって
きています。その方向性を要約すると、この記事のタイトルになります。

私はDTMerを志している(ちょっと開店休業状態ですが・・・頑張ります)こともあり、
音楽の作りかについては一応それなりの知識はあります。その知識をオープンにする
という目的で、音楽理論などの記事を書いてきました。しかし、これはブログで記事を
書くことで分かってきたことですが、音楽を作るという目的以外にも音楽理論に需要が
あるようなのです。つまり、音楽をより深く理解するために音楽理論が助けになる。

私はそもそも、音楽を作ることと聴くことを分けたくないと思っています。もっと気軽に
音楽を「作る」とまではいかなくとも、その手前の行為に親しむようになってほしいと
思っていますが、それは段階的に進めるべきだろうなあとは考えています。ただ、
音楽理論などで、好きな音楽をより深く「理解」しようとする試みは、その一歩に
なると思っています。

そんな私の思いを今回「音楽の「中」へ」という言葉で表現してみました。人が音楽を
気に入る時は、その音楽の中に入り込むことが出来た時なのではないかと最近思います。
この詳細はいずれ書きますが、音楽の「中」に入り込むことを助けるコンテンツを充実
させたいなあと思います。

それと同時に、音楽の「外」へも目を向けたいと考えています。自戒を込めて書きますが、
音楽好きは音楽を社会から独立させて考えるクセがあると思います。しかし、音楽を
初めとするエンタメコンテンツは、社会と独立して存在することは出来ません。

ですから、私達の好きなものを守るためにも、音楽の「外」にあるものにも関心を向けて
いきたいなあと考えています。と言いつつも、地に足をつけることも大事。音楽好きに
とって、音楽と社会との接点で問題になる主たるテーマは「著作権」と「表現の自由」の
2つのテーマだと考えます。これらについても、このブログの大きな柱として記事を
書いております。

そういう趣旨で展開しているブログです。末永くよろしくお願いいたします。
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2018年01月16日

面倒くさい議論から逃げずにいこう

表現の自由と差別については、年明けからずいぶんバズっていますよね。
このブログ的には「そこからですか?」とも言いたくなる、どこかで見たような
騒動ではあるのですが。

浜ちゃんのブラックフェイスは黒人差別なのか 知らなかったでは済まされない

この問題と近い問題が以前ありましたね。ラッツ&スターとももクロが「顔の黒塗り」
をしたという騒動。これについては以前2つほど記事を書きました。
表現の自由で差別はなくなる!
自由も差別も相互作用

今回の問題についての私の考えも、先の記事で書いたことと基本的には同じなんです。なので、
新たに付け足すことではないかなあと思って静観していました。ですが、また例によって
書きたいことが出てきたので(まあそれが相互作用だもんね)この記事を書いています。

というのも、さすがお笑いですね。この問題について議論の量が半端ないです。色んな人が
色んな考えを述べていて、その考察を蓄積することに意味があると、先ずは考えますね。

ということで、ざっとここまで出ている議論のアウトラインを辿っていきますね。先ずは
人権意識の観点から今回の「ブラックフェイス」を問題としている典型は(最初に紹介した
記事もですが)これですかね。
正月の民放番組で感じた「人権後進国」日本

一方で、お笑い好きの中には「差別意識はない」と擁護する人達もいます。その中にはヒドい
代物も多いのですが、まともな論かなあと思うものを紹介します。
浜ちゃんのブラックフェイスは黒人差別ではない

擁護論で一番有名になったのはフィフィさんの意見でしょうが、これについては稿を改めます。
別に論ずべき問題があると考えるので。

一方で、番組を批判する論調の中には少し色合いの違うものがあります。代表的な物を2つほど
紹介しますね。

「笑ってはいけない」と「笑えない」ということの話

この問題に対する柴さんや宇野さんのスタンスについてはお二人とも海外の表現にも精通して
いらっしゃることから来る国際仕様の立論で、それが必要だと強く感じると同時に、一般の人
には理解しにくい面もあるのではないのかなあとも感じます。それが「文化的鎖国」だという
意見には同意しますが。(こういう意見に対する反発には「無知だ」と返せるのでしょうが、
建設的な議論のためには、そこをもっと「開く」議論が必要になるかなあと予感します)

私が「黒人の人形」を作るわけ。そして浜ちゃんの黒塗りについて

こちらは表現の「質」を問題にしている点で、人権的な観点から問題にする人と一線を画して
いるように感じます。ですが、これもやはり、その表現が尊敬から来るものかステレオタイプ
から来るものか、という差別と表現の問題の観点から見れば、比較的オーソドックスな議論で
こういう観点からの議論も大事だなあと考えます。

こういう議論を並べた上で、じゃあお前は何を思うのかというと、それこそ先の私の記事で
書いた通りで「黒塗りが差別かどうかが大事なのではない。大事なのはその後だ」という意見に
なるわけです。ですから、こういう多様な議論があること自体を頼もしく感じるのですが、実は
当の松本さんがこの件についてコメントしています。
ガキ使『黒塗り問題』に、松本人志「言いたいことはあるけど、面倒くさいので浜田が悪い」

ホンネとしては「その言いたいことをもっと表に出してよ」という気持ちですが、立場上
言えないことも多々あるのででょう。彼としては精いっぱいの「相互行為」なのでしょう。

その「オトナの事情」を忖度した上で、お笑い界に意見を申したいのは「だったら、もっと
ファンがこの問題について議論をすべき
」だということ。音楽にも多分にあるので自戒を
込めて言いますが、お笑い好きな人にはお笑いを社会から隔絶したものと捉える傾向がある
のだと考えます。ですから、こういう問題があると「萎縮して自由に表現できなくなる」
なんて意見が聞かれることになるのです。そういう考えこそ甘ちゃんなんだよ、と私は
挑発的に言いたくなるのです。

お笑いの表現だって、私たちが生きる社会を反映して生まれてきている。だから、それは
社会に対して何らかの影響を与えるわけですよ。そういう面があるからこそ、人はその
お笑いの表現に「笑えた」り、惹かれたりするのだと思うのです。

おそらく差別表現に対して「なんでそんな抗議をするのだ」という反発をする人達は、おそらく
差別の問題が自分と関係ないか、自分から遠いものだと感じているのでしょう。そうでなく、
差別の問題は私たち全員にとって身近な問題(自分達自身偏見の塊ですからねえ)であり、
それを「見えなくされている」だけ、なのですよ。(そういう問題は、実はこの国には
たくさんあるのですが、そこは本稿とは関係ありません)

お笑いの表現も、差別とは無縁ではいられない。でもそれは、否定的な面だけでなく、実は
ポジティブな面もあるわけですよ。お笑いによって、僕たちの差別に関する意識が前に進む
という。ですから、お笑い好きの皆さんには、笑いと差別の問題について、真剣に考えて
欲しいのです。今回は黒人差別の問題でしたが、色んな面でお笑いと差別は非常に近い
ところにある
わけですから。(性差別とかね)それは、自分の大好きなお笑いを擁護する
という論陣であってもいい。大事なのは、オープンな議論をしていくということ。それに
よって、ガラパゴス的な進化を遂げている日本のお笑いも、より良くなっていくのだと
私は信じています。(音楽も、負けちゃいられないけどね)
ラベル:表現の自由 差別
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2018年01月14日

Negicco2018年はこうして始まる

2018一発目の記事はやはりこの人達でしょう。



我らがNegiccoの久々のシングル。新曲自体は去年のベスト盤に3曲あったけど、
勝負曲という意味では久々。なんですが、確実に季節が変わったことを告げる
シングル曲ですね。

これまでNegiccoのシングルと言えば、新しい面を次々と見せて、ファンを驚かせつつも
その音楽的説得力でねじ伏せてきた歴史がありますが、今回はそういうモードでなく、
誰もがほっこりとする楽曲。ですが、トロンボーンやハモンドオルガンの音色に
「音楽っていいな」と思わせてくれる、シアワセ感満載の曲を届けてくれています。

私はある時期からの彼女達は、これまでの活動の果実を刈り取る時期にあると
思っていて。シングルは久々になってしまいましたが、2017年も活動が停滞していた
わけでなく、むしろコンスタントに活動していたわけですよね。それはおかげ様で
色んな仕事が舞い込んできて・・・というウレシイ悲鳴ゆえという面もあるのでしょう。
音楽面でも、そういったモードを反映したものになるのも、自然な流れであり、
路線としても正しいのだと思いますね。

今や、少し音楽に詳しい人ならみんなNegiccoのことは知っているし、彼女達のなしえてきた
ことも充分にあるわけで、こうしたリラックスした感じの楽曲の方が、広い層に届くような
気がします。15年目にして、なかなかニクいアプローチをしてきますね。

しかし今回はYOUR SONG IS GOODが編曲という。そこに来たか、という音楽ファンの愉悦を
味わえるのは相変わらず。いよいよJポップの遺産の総絵巻の様相を呈してきました。
connieさんの楽曲がユアソンに彩られる至福。今後は誰が起用されるのでしょうか。
やりたがっている人たくさんいるでしょう。てゆーか、ずいぶん前から「曲書きたい」と
表明してきたトライセラ和田さんはいつ起用されるのか?(そこがオチ?)
ラベル:Negicco
posted by なんくい at 22:54| Comment(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする