2018年07月31日

音楽の「中」へ、音楽の「外」へ

当ブログは2013年5月に始まりました。そもそもはDTMがはかどらない私なんくいが
見切り発車的に始めたブログなんですが、徐々に色んな企画を始めるようになって
きています。その方向性を要約すると、この記事のタイトルになります。

私はDTMerを志している(ちょっと開店休業状態ですが・・・頑張ります)こともあり、
音楽の作りかについては一応それなりの知識はあります。その知識をオープンにする
という目的で、音楽理論などの記事を書いてきました。しかし、これはブログで記事を
書くことで分かってきたことですが、音楽を作るという目的以外にも音楽理論に需要が
あるようなのです。つまり、音楽をより深く理解するために音楽理論が助けになる。

私はそもそも、音楽を作ることと聴くことを分けたくないと思っています。もっと気軽に
音楽を「作る」とまではいかなくとも、その手前の行為に親しむようになってほしいと
思っていますが、それは段階的に進めるべきだろうなあとは考えています。ただ、
音楽理論などで、好きな音楽をより深く「理解」しようとする試みは、その一歩に
なると思っています。

そんな私の思いを今回「音楽の「中」へ」という言葉で表現してみました。人が音楽を
気に入る時は、その音楽の中に入り込むことが出来た時なのではないかと最近思います。
この詳細はいずれ書きますが、音楽の「中」に入り込むことを助けるコンテンツを充実
させたいなあと思います。

それと同時に、音楽の「外」へも目を向けたいと考えています。自戒を込めて書きますが、
音楽好きは音楽を社会から独立させて考えるクセがあると思います。しかし、音楽を
初めとするエンタメコンテンツは、社会と独立して存在することは出来ません。

ですから、私達の好きなものを守るためにも、音楽の「外」にあるものにも関心を向けて
いきたいなあと考えています。と言いつつも、地に足をつけることも大事。音楽好きに
とって、音楽と社会との接点で問題になる主たるテーマは「著作権」と「表現の自由」の
2つのテーマだと考えます。これらについても、このブログの大きな柱として記事を
書いております。

そういう趣旨で展開しているブログです。末永くよろしくお願いいたします。
posted by なんくい at 00:00| Comment(0) | あいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

は? 違うだろう!

前の記事を書いたのが6月の10日。もっと言えば件の曲が公開されたのが
6月の6日。それからたった数日でこんなにも事態が動くとは!と驚きを
禁じ得ません。これもネット時代ゆえ、ですかね。

RADWIMPS野田洋次郎、軍国歌と批判浴びた「HINOMARU」の歌詞巡って謝罪

この謝罪という事態に釈然としない人も多いのではないでしょうか。批判される
ような歌を作ったからといって、特定の誰かを傷つけたわけでもないし、単に
思想的にヤバい歌ってだけでしょ。何で謝る必要があるのかな、という。なので
謝る対象だっておかしいもんね。「傷ついた人」って誰? サヨク? 東アジア
の人達?(戦争の被害者だってこんなんで傷ついたりはしないでしょ。侵略戦争を
肯定しているわけではないですしね)

この謝罪という行為についての勝手な推測は後で書くとして、これを受けて擁護側
が沸き立っているというのが現在の事態。「謝る必要がない」というのはその通り
ですが、「言論の自由」を侵害しているって、完全に読み違いだろ!というのが
この記事の趣旨なんですが、擁護している人達がどこまでずれているかの典型を
先ずはお見せしますね。




こんなレベルの低い意見にも賛同の声が続々、で批判する声がごく少数。(相手にして
ないだけかもですが)先ず「日本が好きというと軍歌」という短絡的な読みからして
おかしいですし(この歌の問題性が分かっていない。日本が好きって歌はゴマンとあるよ)
ただ批判しただけで表現の撤回とかを求めたわけではない(例外がいるので後で書きます)
のに「表現の自由を侵害」って、やってもないことで批判してるんですよこの人達!

ただ、今回の歌を批判するあまりにライブ会場で抗議行動をしようという明らかに常軌を
逸した行為に出る人達もいたんですけどね。批判にしたってレベルの低いものも多かった
ですし。ただ、擁護(というか批判した人を批判)する議論の中で私がおっと思わされる
ものは今回は皆無なんですよ。(あったら教えてください!)

前回の記事は「表現する人はもっと勉強しないと」という趣旨でしたが、今回は「批判
したり擁護したりする人も、もっと勉強しないと」という趣旨になりますね。そこで、
繰り返しになる部分は私の過去記事で勉強してもらうことにしましょう。こう見えても、
こういう問題についてはそれなりに勉強してきましたから。

抗議の自由とルール
抗議する側と受ける側を調整するファシリテイターが必要だという論を立てていますが、
そのことの是非はともかく(今は少し違う意見になっているかな)奏法に置いて何を
目的とするのかを明確化する必要がある、という主張を読み取って頂きたいです。

表現することのリスクとリターン
表現するということは、それによって傷つける人がいるというリスクを負うのだという
原則論について述べています。あれ、最後に引き合いに出しているのが、現在掘り出されて
物議を醸している「五月の蠅」だぞ。(この曲に関しては擁護したいです)

抗議する理性と感情
被差別の人への表現支援という思わぬ形での結論になっていますが(これ自体は大事なこと
なんですけどね)抗議する側の理性と感情を分けて考えるべき、という意見は読み取って
頂きたいところです。

「表現の自由」の概念を更新する
表現の自由について、最近は相互行為論という新たな捉え方をしています。好き勝手に表現
することが「表現の自由」ではない、というと驚かれる方もいるかも知れませんが、表現に
ついて突き詰めて考えるとこうなるのです。

過去記事の紹介はこれくらいにしておきます。色々書いていますので是非読んでください。
さて、ここからは野田氏の「謝罪」の意味と、この曲を踏まえたかどうか知らないけど
アンサーに聞こえる表現をいくつか取り上げます。

先ず、ラッド側としては野田氏の今回の謝罪だけが公的に行った行為で、別に作品を回収したり
曲が放送禁止になったりしたわけではないんです。なので、表現の自由が侵害された云々という
のは、これに関してはないです。一方で批判する自由もあり、それに対して表現する側もどう
反応するかも自由です。実際、最初の方では野田氏もツイッターで「想像以上に想像通りな」と
喜んでいましたからね。(そこで「特定の思想はない」という発言をしていて、その発言を
めぐって私は色々議論しておりました)

それが一転して謝罪。というよりも実際は弁明に近い感じですよね。「右翼的な思想を持って
こういう曲を作ったわけでない」「でも軍国主義的という批判に対しては納得する部分もある」
ということ。それで、謝罪をしているということですね。これは、謝罪の仕方がおかしいという
先ほど書いたことを除いては、納得できる反応と言えるかも知れません。(まあ野田氏の過去の
言動を見ていて、おそらくそうだろうなあということは、想像出来ましたが)

ただ、少し前にはツイッターで「想像以上に想像通りな」と言っていたわけですから、そこから
どうしてこういう謝罪に追い込まれたのか。それは、思っていた以上に反響が大きかった。
ライブ会場への抗議行動なんて事態になり、ファンの人と小競り合いになるのを避けたかった。
などの理由も考えられますが(こんな謝罪で抗議行動が止むわけないのにね。余計分断が増す
だけじゃん!)私の勝手な推測ではスポンサーの意向もあったのではと考えます。
カップリングとは言え、もとの曲がテレビ局のタイアップですからね。こういう騒ぎになり
「さすがにマズイ」となったのではないでしょうか。

ただ、謝罪は彼らの本意ではない(あくまで私の推測ですが)としても、ここに書かれて
いることは彼の本音であろうと考えます。ここで気になるのは、どのレベルの批判を読んで
こういう反省に至ったのかということ。出来れば野田氏やラッドのファンの方にも、私の批判
を読んで欲しいなあと思います。真剣に書いたので。

最後に、この表現を踏まえていくつか出てきた表現、あるいは勝手にアンサーでないかと
思ってしまった表現をいくつか紹介しておきます。先ずはダースレイダーさん。完全に
「RADWIMPS」というタイトルでもしかすると便乗かも、というラップを発表しています。

https://soundcloud.com/rei-wada/radwimps
つまり「日本が好き」というのは色んな文化が混ざり合う地としてなんだよな、という、
テイストとしては前回紹介したリリスクに近いものを感じます。HIP HOPの人だしね。

今度は一転してロックサイドから。別にアンサーではないけど。藤田恵名さんの新曲が
「これこそRADWIMPSがやるべきだったことじゃねーの」という痛快なチューンを
鳴らしています。



未検閲バージョンというもっと過激なMVもあるのですが、趣旨を伝えるのにはこれで
充分なので。途中日の丸のペインティングをしている人が出てきていますよね。非常に
日本の「今」を切り取った曲だと思いますね。

もう1曲あったんだけど、忘れちゃった。思い出したら追記に載せます。

原則論すぎて恥ずかしいくらい(でも、こういう時こそ原則論は大事!)ですが、表現者は
表現で返すべき。今回の件を踏まえて、RADWIMPSがどういう表現を生み出すのか、そこに
注目していきたいです。
posted by なんくい at 12:41| Comment(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月10日

和をテーマにした曲で必要なこと

一昨日の夜から思わぬバズが2件起こり、その2件に共通していることが「和」のテイスト。
ということで、強引にその2件をつなげる記事を書きます。

先ずはRADWIMPS。彼らは以前に何度か取り上げたことがあります。概ね好意的に取り上げて
いました。これなんかは短いですが、RADだけで記事にしてますもんね。

そんなRADWIMPSがサッカーW杯のテーマソングを担当することになって、そのカップリング曲
が話題になっています。その名も「HINOMARU」! 早くも何だか匂ってきますよね。
そうです。いわゆる「右寄り」ソングとしてバズっているわけです。

こういう歌については、椎名林檎ゆずも擁護記事を書きました。基本的なスタンスはそれと
変わらないのですが、今回はちょっと批判的なことを書くんですわ。ガッカリしたことも
多々あるんで。

何のことか分からない人もいると思うんで(後々から記事を読む人もいるでしょうし)
ニュース記事を貼っておきますね。

RADWIMPSの新曲の歌詞が「軍歌っぽい」と物議 「日出づる国の御名の下に」「気高きこの御国の御霊」

RADWIMPS HINOMARU 歌詞

私の基本的なスタンスとしては、先の記事と同じくこういうアプローチ自体は歓迎したいと
いうものです。それで批判も自由にやったらいいと。こういう歌自体もっと増えていいと
さえ思います。(ただ、今回調べると結構あるんですね。特に震災の後ぐらいに)

ただ、このRADWIMPSの曲については私は批判的な意見を持っています。いくらなんでも
これは、頭悪すぎだろう。もっと勉強してほしい、というのが正直な気持ちです。

別に軍国主義的な表現がどうとかではないんです。むしろ、そういう表現を使うのなら
もっと勉強してほしい
なあということ。文法的な間違いにしても(せめて古文文法くらい
勉強してほしいけど)確信犯で破調があるのならいいけど、あまりにレベルの低い間違いが
多すぎるし、読む人が読めば「不敬だろう」と怒るような表現もある。(御霊ってそんな
安っぽいものなの?)

これがアマチュアの人ならともかく、トップセールスを誇る日本の代表的なロックバンド
なんだから、そのクオリティーについては責任があると思うんですよ。自分に不慣れな
語法を用いるのなら、せめて専門家の監修を受けるとか手があると思うけどなあ。軍国
主義的な表現を用いるのなら、辻田真佐憲先生に教えを乞う、みたいな。

ただ、歌詞だけを云々するのはフェアでない(別に論文とか詩を発表したわけでないからね)
と、実際に曲を聴いてみました。(公式にはないので貼れないですが)

実は結構期待していたんですよ、曲に関しては。野田洋次郎さんは帰国子女で、そういう
距離感のある人が和の表現をどう取り入れるのか。これだけ歌詞で思い切ったことして、
ただのJポップとかないでしょうから。(逆にそれでも面白かったかも)実際、いきなり
太鼓の音(実際はバスドラ?)がフューチャーされて、かなり思い切った和のテイストが
取り入れられていました。ヨナ抜き音階を取り入れつつ転調する楽曲にしても、結構いい
セン行ってるかなあ、と思っていたんです。






後半のところに来るまでは。





曲の後半で「おーおー」とシンガロングになる箇所があるのですが、ハッキリ言ってそこで
ドン引きですわ。和のテイストの中でも、私の一番苦手な要素が凝縮されている。みんなで
一つになりましょうという体で、あまりに粗雑に全員をまとめようとする。日本の悪しき
全体主義的な、あの感じ。しかしサッカーの応援か何かでも「みんなで歌いましょう」と
なる時に、どうして「おー」なんでしょうね。

偏見であることを承知で書きますが、こういうテイストはいじめっ子の感性なんですよ。
彼らの思い上がった感性で全員が一つになったとカンチガイしている。そこに、
いじめられっ子や陰キャの子の気持ちは排除されている。まあ彼らは表に出さないけどね。
彼らが愛国心をテーマにした途端、彼らの思想性(あえてそういう言い方をします)の
醜悪な部分が露呈してしまった、と感じました。歌詞なんて、それがほんの少し露出したに
過ぎないよ。でも音楽は、嘘つけないね。RADWIMPS、好きな曲もあるんだけどなあ。


気を取り直して。もう1件のバズを取り上げましょう。lyrical schoolは新生になってから
プラチナ期」と勝手に称して盛り上がっております。記事も2本書いていますね。
(昔からキライだったわけではない。でも今思えば冷淡でしたね)

リリスクについては、その少し前にライブ動画が公開された「High 5」もすごく良くて!

サビでトップギアにいかないところがメチャクール!!!!!


アルバムへの期待値が俄然高まる中での、レコーディング・テイクでのMV公開。しかも
スチャダラパー&かせきさいだぁの楽曲という、公開前から話題になっていた曲です。


期待のど真ん中を、期待以上にガツンと来たって感じです。そりゃスチャダラ&かせきって
間違いないに決まっていると皆さん思っているでしょうが。そのハードルが上がっている状態で
期待をガッチリ引き受けるのはなかなかに難しい。ちょっとスカしたくなるもんね。それが
一切ない、プロフェッショナルな仕事っぷりに、とことん感服いたします。

とフツーに褒めるのはこのくらいにしておいて、今回の記事の文脈で言えば、和をテーマにした
曲を作るには、それなりに教養が必要だよということ。それは音楽的な意味でも思想的・文学的
な教養も必要となってくるわけですよ。これまでの日本の夏ソングの蓄積や、言論的な蓄積を
どれだけ踏まえているか。その上でどういう新味を出していくか。

例えばこの曲では夏の風物詩がたくさん現れてきますが、その趣と反して危うさ(スチャは
「うさぎ」を献本されているしね)までも感じさせるところが、教養の産物なんですよね。
浴衣を着ている女の子はカワイイという気持ちと、そもそも和服の中で何故浴衣だけ今日
着られているのかという疑念とが両方ある感じ。

ああ、この曲についていくらでも書けちゃうけど、これだけ素晴らしい曲が揃っていると
アルバム全曲紹介案件でしょうから、そこに取っておくことも必要かな。和のテイストと
いうのは色んなアーチストが色んなトライアルをしてそれなりに蓄積があるので、愛国ソング
を作る際に参考になる面がたくさんあると思いますよ。というのを締めに致します。続きを読む
posted by なんくい at 18:41| Comment(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする