2019年12月31日

音楽の「中」へ、音楽の「外」へ

当ブログは2013年5月に始まりました。そもそもはDTMがはかどらない私なんくいが
見切り発車的に始めたブログなんですが、徐々に色んな企画を始めるようになって
きています。その方向性を要約すると、この記事のタイトルになります。

私はDTMerを志している(ちょっと開店休業状態ですが・・・頑張ります)こともあり、
音楽の作りかについては一応それなりの知識はあります。その知識をオープンにする
という目的で、音楽理論などの記事を書いてきました。しかし、これはブログで記事を
書くことで分かってきたことですが、音楽を作るという目的以外にも音楽理論に需要が
あるようなのです。つまり、音楽をより深く理解するために音楽理論が助けになる。

私はそもそも、音楽を作ることと聴くことを分けたくないと思っています。もっと気軽に
音楽を「作る」とまではいかなくとも、その手前の行為に親しむようになってほしいと
思っていますが、それは段階的に進めるべきだろうなあとは考えています。ただ、
音楽理論などで、好きな音楽をより深く「理解」しようとする試みは、その一歩に
なると思っています。

そんな私の思いを今回「音楽の「中」へ」という言葉で表現してみました。人が音楽を
気に入る時は、その音楽の中に入り込むことが出来た時なのではないかと最近思います。
この詳細はいずれ書きますが、音楽の「中」に入り込むことを助けるコンテンツを充実
させたいなあと思います。

それと同時に、音楽の「外」へも目を向けたいと考えています。自戒を込めて書きますが、
音楽好きは音楽を社会から独立させて考えるクセがあると思います。しかし、音楽を
初めとするエンタメコンテンツは、社会と独立して存在することは出来ません。

ですから、私達の好きなものを守るためにも、音楽の「外」にあるものにも関心を向けて
いきたいなあと考えています。と言いつつも、地に足をつけることも大事。音楽好きに
とって、音楽と社会との接点で問題になる主たるテーマは「著作権」と「表現の自由」の
2つのテーマだと考えます。これらについても、このブログの大きな柱として記事を
書いております。

そういう趣旨で展開しているブログです。末永くよろしくお願いいたします。
posted by なんくい at 00:00| Comment(0) | あいさつ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月16日

グレタ・トゥーンベリさんから学ぶ、今の言葉の届かせ方

グレタ・トゥーンベリさん。私はすごくいいと思うなあ。

最初にこの手の問題に対する私のスタンスをはっきりさせておきます。今という時代は様々な歪みの元に成り立っていて、それは様々な面で限界が来ている。だからこそ、その歪みを何とかしたいと志のある人なら思っているわけで、そういう大きな括りの中で言えば、グレタさんは頼もしい同士の一人ということになります。しかし、彼女の主張の全てに賛同しているわけではありません。例えば、最近私は肉食を控えるようになっていますが、全く肉を食べないわけではありませんし、肉食をする人を糾弾したり嘲笑したりするつもりもありません。畜産業に携わっている人の生活も大事ですし、その意味では私は穏健な立場と言えるかも知れません。それに、気候変動を問題視する立場は往々にして原発肯定派と結びつきますが、それは勘弁してほしいという立場でもあります。

しかし、その主張の是非は別にして、彼女に注目した方がいいと考える理由があります。それは、彼女への反応でダメな奴があぶり出されるから。信頼できない人間を見つけ出すマーカーのような役割を果たしているように思えます。

このブログで一貫して主張していますが、批判するのはいいんですよ。一個の自立した主張として向き合って、その上で批判をするならば。それすら出来ていないような代物が多すぎますよね。16歳の子共の言うことだって舐めすぎだし、発達障害云々って関係ないでしょ。あくまで主張の是非だよ。上から目線でモノを言おうとして、主張に向き合えていないんだよね。

他にも「彼女の存在を利用しようとする大人がいる」という批判も多いです。そりゃそうでしょう。でもだからこそ、彼女自身の主張と、それを利用しようとする大人の思惑を峻別すべきは、周りの「分別ある」オトナじゃないの? だいたい、こういう若い人のストレートな主張に対して「大人の分別が・・」と言う人は多いけど、そういう人が大人の分別を見せてくれたためしはないもんね。思慮深い大人の考察で納得させてくれればいいのに、大人の威厳で黙らせようとする、要はニセモノばっかなんだよ。

もっとも、グレタさん自身の怒りに任せたような演説が反発を生んだのだ、という面はあるのでしょう。しかし、その「反発を生む」という事態そのものが痛快に思えてきてしまいました。だってグレタさんに反発する大人の、揃いも揃ったポンコツぶり。言論人として失格だろうという醜態を次々と晒してくれています。おそらく彼女の言動が、世界に対して重い責任のある人達(=大きな影響力を行使できる人達)の、突かれるとイタイところを確実に突いているのだと推測できます。

私自身は(今でも)世界は複雑に出来ているから、その複雑さに対処できるようにロジックを磨くべきだ、という立場なんですが、グレタさんをめぐるあれこれを見ていると、考えが変わりつつあります。幼稚園児みたいな単純な物言いって、案外今の世の中に有効なのかもな。それが今の世を跋扈するニセモノどもの化けの皮を剥がすのに有効な手段なのかも知れない。と言いつつ、自分の役割はそういう勇気あるドン・キホーテをロジックでサポートすることかも知れないという思いもあり、そこは揺れております。続きを読む
posted by なんくい at 00:19| Comment(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月15日

本日の1曲20191215 さとうもか「最低な日曜日」

さとうもかさん。3度目の登場となります。

この「最低な日曜日」は、基本的にはベッドルーム・ミュージックだと思うんですよ。そこへ、トークボックスで彩りを加えるのが鶴岡龍さん。トークボックスとのデュエットって斬新ですよね。

しかし私は、この人のメロディのセンスが本当に好きですね。いちいち「こっちに行ってくれると気持ちいいよな」という方に行ってくれる。この曲で歌われる境遇と今の自分とは離れていて共感できるわけでないのに、聴いているとわけもなく泣きそうになるのは、ひとえにメロディの力なのだと思います。

最低な日曜日を送っている人にも、この曲が届いて少しでも彩りを加えられますように。

posted by なんくい at 16:24| Comment(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする