2015年09月30日

自分の意見は相互行為によって作られる

今日の記事は、前々回の「批判的な言説の存在意義」という話の続編でございます。
この記事に関して議論していて思いついた話だからです。

そこで議論になったのは「自分の頭で考えて発言する人が少ない」という話です。
私自身「言論の自由が存在する根拠」という話を連載の初めの方に書いておりまして、
その意味でも皆が自分の意見を持つということが重要だと考えるからです。

ただその実、私は他人の意見の借り物でしかない、ということには寛容ではあります。
誰しも他人に影響されて自分の意見を形成するものでして。むしろ誰にも影響されず
自分のオリジナルの意見を一から形成した、というのなら、かえって独善の色を感じて
危険な印象すらあります。(実際、完全に一からなわけないでしょうけどね)

表現の世界でも、過去の幾多の作品に影響を受けて作品は作られるわけです。もし過去の
作品がなければ、表現をしようという気持ちにもならなかったはずです。このブログでも
過去何度も書きましたが、過去の表現の広大な海からアイデアを頂き、そこにほんの少し
自分の色を足して表現の海へ返していく。表現活動はそういうものだと考えます。

言論活動だって、誰かの意見の受け売りになるのはやむを得ない、というより、真に自分の
頭で考えることが出来るのは、ある程度その分野の意見に習熟して自分なりの座標軸を
作ることが出来てからの話だと考えます。それでも、自分の頭で考えた結果、誰かの意見と
同じとなることもよくあることでしょう。真にオリジナルな考えに至ることの方がむしろ稀有
なことなのかも知れません。

でも、それでも構わないのだと、私は考えます。

だんだん「アイデンティティーとは」みたいな議論になってきますね。アイデンティティーに
ついては昔結構考えたことがあります。その時の一応の結論は「自分の轍がアイデンティティー」
というものでした。これまでに自分がどういうものに影響を受けてきたか、どういう道を辿って
きたのか、は一人として完全に同じ人はいないはず。だから、自分が何を選んできたか、そこに
自分らしさのカギがある。ですから、自分の意見は何か、という問題も、自分がどういう意見に
共鳴するのか、を突き詰めていくと、それが「自分なりの意見」なのだと考えることが出来ます。

そして、この話は最近のこの連載のテーマでもある「相互行為論」の面からも強化・補足されて
いきます。それが、タイトルにもした「自分の意見は相互行為によって作られる」という
テーゼになります。自分の意見は自分だけでなく、他人との相互行為によって形成されるのだ、と。

しかしそれは、「だから自分が影響を受けた意見をそのまま自分の意見にしていいのだ」という
話に着地するわけではありません。このテーゼはもう少し厳しい見方をします。というのも、
自分の意見を真に「外」に向けて開いていかないと、本当の「自分の意見」にならないと
考えるからです。

例えば、自分と同じような意見の人とばかり議論して、共感の中で自分の意見を形成するなんて
ことはよくあると思います。ただ、それだけでは「その集団の意見」と同じになってしまうのです。
自家受粉の植物が純系ばかりになってしまうように、自分と似た意見の人と交流しているだけでは
その中で煮詰まってきてしまうのです。

かと言って、反対の意見の人とあげ足の取り合いをしていても、自分の意見は開かれません。
私は常々、強烈な批判を繰り返す人が、批判する対象に似てくるのが不思議でなりませんでした。
しかしそれも、相互行為論を念頭に置けば非常に得心がいきます。自分の憎き対象を批判する
ことが自己目的化していないか、「自分はそうならないようにしよう」という他山の石に
出来ているのか、常に自分を戒めていかなければいけません。

最初は誰かの借り物でもいい。それを自分にとっての「他者」へぶつけていく、その営みの
中で、自分の意見は作られていく。ですから私も、もっと色んな他者と交流して、真に自分
らしい意見を作れるようになっていきたい。そう考えるようになりました。

次回は「コンプライアンス」という今日的な、やっかいな問題に向き合うつもりです。
posted by なんくい at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月29日

RYUTist「ラリリレル」とは如何なる魔法なのか

今日は昨日の記事にもチラッと現れたRYUTistの記事を書きます。

このブログの読者の中ではもうおそらく「RYUTistの新作やばい」という感想を
抱いている方もたくさんいらっしゃることでしょう。私も、遅ればせながら
ハマっております。
RYUTist HOME LIVE - RYUTist
RYUTist HOME LIVE - RYUTist

巷の評判ということで1つ記事を紹介しておきます。
NegiccoとRYUTistについて|星海銀の日記

ネギ単推しの星海さんにここまで言わせるなら名作に違いない(それ以前に色んなところから
評判は聞いていましたが)ということで私も買ってみたわけです。噂に違わぬ素晴らしい
出来で、特に「ハックルベリー」は名曲中の名曲(しかも彼女達が歌ってこその名曲!)
だと思いますね。


他にも名曲のつるべ打ちで、予想以上に音楽的なアルバムでしたね。彼女たちの良さは
一応知っているつもりでしたが、ここまで凄いとは思っていませんでした。本当、
すいませんと言いたくなります。(そのお詫びもこめての今回の特集です)

さてこの記事では彼女たちの「ラリリレル」という魔法の意味を考えるという知的遊戯を
展開しようと考えています。


そんな超名曲というわけではないですが、彼女達にとっては非常に重要な意味を持つ
楽曲でして。というより彼女達のキャッチフレーズが「君に魔法をラリリレル」という
らしく、要はこの曲が彼女達のテーマソングといって過言ではないわけです。

しかし魔法って一体何? ラリリレルって一体何の魔法だろう?と疑問に思いますよね。
彼女達の魅力にノックアウトされた人なら、それが「魔法」としか呼びようのない代物だと
お分かりだと思うのですが、それを説明しようとなると非常に困難なわけです。

そこで「ラリリレル」について考察するという知的ゲームをして楽しもうというわけです。
そしてその妄想的な考察を通して、彼女達の魅力を伝えることが出来れば、という
ささやかな願いも込められています。

先ず彼女達は結成して4年とのことですが、一つ一つのライブを大事にしてきた、という
自負が物語る通り、非常に真摯に真面目にアイドルをやっているという印象を与えている
と思います。ちょっと学級委員的というか、4人とも非常にしっかりしていらっしゃるし、
好みは別として好ましく思える方が多いのではないかと思われます。

しかしそういう、コツコツと真摯に努力して・・・なんて魔法の対極にあるのでは
ないか。そう疑問を持つ方が多いのではないでしょうか。むしろその逆のダメダメな
子のために魔法は存在する? 典型的な議論としてはロックンロールの魔法ですね。
甲本ヒロトさんが仰っていましたが、勉強もスポーツも出来ない、かといって臭い
からイイ、なんて変態的な価値観からも外れてしまう、そんなすべての価値観でも
バツがついてしまう人が唯一輝けるのがロックンロールなんだ!と。

だいたいにおいて芸事は、実世界の価値観を顛倒させることに意味があると言います。
虚業の世界では、世知辛い世の中を忘れられるような夢が見たい。そんな「努力すれば
報われる」なんて世界、つまんないじゃないか。

でも、そうじゃない。そういうことじゃないんだ!

RYUTistの曲の歌詞を注意深く聴くと、人生の苦みのようなものが写し取られて
いるのを感じ取れることでしょう。彼女達は決してありがちな夢とか愛とか単純な
メッセージを歌っているのではない。生きることの苦しみや不条理に向き合うような
なかなかに重い曲を歌っているんですよ。

でも、だからこその「魔法」なのだと考えます。

コツコツ頑張るだけではどうにもならないことがある。努力しても報われないことがある。
そんな世界の不条理に抗うための「魔法」。先ほどの言で言えば、むしろ虚業の世界ぐらいは
コツコツ努力することが報われて欲しい。そんな願いを体現するかのような彼女達の佇まい。

「集中」「元気」「笑顔」「感謝」なんて、斜に構えた人(オレか)には眩しすぎる言葉を
真摯に体現しようとする彼女達だからこそ、音楽という魔法に「選ばれた」のだと思います。

RYUTistがかける魔法。それは、毎日を真摯に生きようとする私達に降り注ぐ魔法なのです。

タグ:RYUTist
posted by なんくい at 17:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月28日

スーパームーンを愛でながら聴きたい曲

実は昨日、パソコンを新調しまして。そこでここ1週間ほど、その整備に追われることに
なります。(そのチェックも兼ねて童謡のカバーを1曲仕上げるんですが)そこで、しばらく
このブログも軽めの記事(要は作成に時間のかからないもの)ばかりになります。まあ、
そっちの方が評判が良かったりするんですけどねww

今日はスーパームーン、ということで月を愛でながら聴きたい曲を特集することにします。
先ず、月といえばエレカシ!でしょう。彼らの大ヒット曲がそういう曲ですよね。


この曲、ドラマのアイアップだったのですが、そのドラマのタイトルも「月の輝く夜だから」
そしてアルバムのタイトルも「明日に向かって走れ〜月夜の歌〜」と月づくしです。
実際、このアルバムのラスト3曲は、今日聴くのにピッタリじゃないでしょうか。
「月夜の散歩」〜「恋人よ」(「帰りの電車から見上げる月を見て」なんて歌詞がある)
と月をテーマにした曲が続きますよ。そしてどれも素晴らしい(ギターの弾き語りで美しい
「月夜の散歩」、重めのミディアム・テンポで重厚な歌を聴かせる「恋人よ」、そして
すべて晴れ渡るようなポップな「今宵の月のように」)宮本さんのロマンチシズムが
ここに結実した、と言ってよい詩情あふれる言葉、伸びやかなメロディに乗ってボーカルが
どこまでも飛んでいくよう。

11月には久々のニューアルバムも控えているそうで、楽しみです。

続いてはMONGOL800。彼らにも月をテーマにした曲が結構あるのですが、
その中で出色なのは「星の数月の数」!(サンボマスターがカバーした(!)
バージョンが少しだけ聴けます)


代わりにこれは歌詞にリンクを貼ります。
モンゴル800さん『星の数 月の数』の歌詞

いかがですか。「星の数だけ君を傷つけ/月の数だけ愛を贈る」というロマンチックな
でもよく考えるとシビアで考え抜かれた言葉。そう、本当に愛を捧ぐべきなのはただ一人
なんだよなあ。

日本人は月が好きで、従って月の歌はたくさんあるんですが、残念ながら三日月とかが
多いんですよ。くるりも「三日月」だし。ちなみに下弦の月を歌ったのはLost In Time
でした。実に彼ららしい。

あと1曲紹介しましょう。実は明日本格的に記事にするRYUTistにも月の歌がありました。


これは月の満ち欠けをテーマにしつつも「本質は変わらない」というちょっと
グっと来るメッセージを潜ませている素晴らしい曲。上に貼ったのはライブの
バージョンですが、CDのバージョンはよりグレード・アップしていますよ。

他にも色々あります。おススメがあったら教えてくださいね。そしてせっかくの
スーパームーンを愛でながら音楽をたしなみましょう。
posted by なんくい at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする