2016年02月29日

Especia第一章の終焉によせて

思えばEspeciaは6人時代が一番好きだったなあ、というなんくいです。
今日がEspecia5人期の最後の日なんですね。ということで、間違いなく
一つチャプターが閉じる時期ということで、文章を寄せたいと思います。

先ずは、そもそも何で3人も卒業するのか、ということを分かりやすく語って
くれているインタビュー記事がありました。
Especia 脇田もなり/三瀬ちひろ/三ノ宮ちか卒業インタビュー 君たちはたしかにEspeciaだった。

3人とも非常に正直に事情を語ってくれていると考えます。これを読むと、昨今の
アイドルをめぐる(いやアイドルに限らず音楽業界全体の)世知辛い事情が見て取れます。
彼女達も、親元だったからこそアイドルを続けられた、という事情があったのでしょう。
もちろん3人3様の事情の違いがあるでしょうが、東京に出ていくという運営の決断が
3人の脱退に色濃く反映されているのでしょう。そう言えば、今回「卒業」という言葉を
使っているのは(杉本暁音さんの時は「脱退」だった)そういう事務所の方針が引き金を引いた
という事情に鑑みて、そういう美しい表現を使うようにしているのでしょう。

ここから先は、辞めていく3人について、コメントします。先ずは三ノ宮ちかさん。
(てゆーか、以後は「ちかぶぅ」と言いたい)Especiaは彼女が多数のメンバーを集めて
きて成立した、というのはファンの間では有名な話。私なんかのEspecia関連のツイートも
マメにフォローしてくれるのもちかぶぅでした。

彼女の魅力って上手く言語化しにくいところがあって。非常に特殊な、まあアイドルらしく
ないっちゃあないけども、マスコット的魅力があると言えば「アイドル」なんだなあ、
という子でした。(念のために言っておくと、非常に目鼻立ちの整った可愛らしい子でも
あると思います)比較対象となるのがミッキー・マウスとかふなっしーとか、リアルな
キャラクターって感じ? 間違いなく愛されキャラですよね。

ですから、今後の彼女がどうなるのか、は最も読めないと思います。私はふつうにつばさ
(Especiaの母体となったスクール)の講師でもするのかな、と思っていましたが。芸能活動を
する可能性もありそうですね。その場合、手本が見当たらないので大変だとは思いますが、
ちかぶぅにしか出来ないことがきっとあるでしょうから、楽しみにしたいです。

続いては三瀬ちひろさん。三瀬さんは何といっても「GUSTO」に収められた「Mount Up」の
作詞ですよね。普通アイドルが自ら作詞をする場合、恋愛ものと相場が決まってたりしますが、
「Mount Up」はジェネレーション・ソングといった趣。それも、どこか悟り世代的な、
世の中の陰鬱な雰囲気を所与のものとして受け入れつつも、そこからもがきつつ切実な
何かを掴みたいという意思が描かれた秀作でした。その作詞に象徴されるように、非常に
客観的な物の見方が出来る子だったんだと思います。その客観性ゆえに「メンバーのお母さん
的存在」として、貴重な存在でしたし。この子のガツガツしない感じがバランスとして
非常に良かったと思います。(そんな三瀬さんだからこそ「No1 Sweeper」でジャンプを
決めるところでアガったりしたんだよなあ)

表舞台にまた出てくる可能性があるあとの二人と違って、おそらく三瀬さんは文字通りの
「ふつうの女の子」に戻るのでしょう。(でもユーチューバーになるのなら、それはそれで
楽しみにしてますよ)でも三瀬さんなら、どこにいてもたくましく生きていくだろうと
思います。(上のインタビュアーの方が「全然悲しくならない」と言ったのは、その辺も
あるのだろうなあ、と。卒業インタビューが湿っぽくならないって特殊だよねえ!)

最後に脇田もなりさん。実はEspeciaで一番最初に個人として認識したのは彼女でした。
メンバーの見分けがつくようになっていったのは「YA・ME・TE!」のリリース後ですから
応援するようになってから結構経ってるんですが、そんな時代でも脇田さんのことは
存じ上げておりました。ですから、私にとって「Especiaと言えば脇田もなり」なんですよ。

最大の魅力はやはり歌、というか声ですよね。一度聴いたら忘れられない、特徴のある声に
やんちゃな歌いっぷり。これはワン・アンド・オンリーな魅力だと思いますし、ステージを
見ていても「歌うために生まれてきた子」なのだと感じます。

ですから、彼女に関しては歌手として表舞台に帰ってくるのだと信じています。てゆーか、
それ以外に選択肢ないやん? ソロ歌手として西恵利香さんのような展開を期待したい
ですね。もしプレゼンするための曲がないんだったら、いくらでも用意してあげるよと
ここで申し上げておきます。

そして、残された二人。明らかに一つの季節が終わって、これからどうなるのか不安なのは
お二人も同じでしょう。さすがにメンバーを増員することになるのでしょうが、その際に
あの素晴らしかったEspeciaの空気感を引き継いでいけるのはお二人だと思うので、そこは
是非期待したいですね。何か困ることがあったらネギさんにでも頼りな!!

そして運営の方には、これだけの悲しみを引きずるのでなく、ファンをいい意味での混乱に
落とし入れるようなびっくりぽんな展開を期待したいです。メンバーに性的マイノリティー
の子が入るとか? むしろ悲しみを忘れさせるような、予想もつかない展開を希望です。

最後に。アルバム「CARTA」聴きました。予想以上に「攻めた」アルバムで、メンバーの
卒業劇がなくても「Especiaどうなってしまうのだろう」と不安になってしまうくらいの
作品でした。これでもメジャーから出てるんだよね。大丈夫?てな感じの。むしろ卒業劇の
おかげでフラットに見られたくらい。

今回はアルバムの感想として「この人達、名盤を作る気すら、ないらしい」とつぶやいて
しまいました。名曲ぞろいの「GUSTO」と違って、世に言う名曲らしき曲が全然ない!
音やその音がもたらす効果へのフェティッシュな愛情と突き放した(あえて言えば)憎悪とが
同居した、メタ音楽とでも言うべきトータルな表現。それでも1曲目をもろ80sロックな
捨て曲で始める辺り、その世界観を分かりやすくプレゼンしようという意思は感じますが、
それでも表したいビジョンに対して1ミリも妥協しない、今どき珍しい芸術至上主義な
アルバムだと評します。くそカコイイ音像とかには溢れてるんだけども、それがいわゆる
名曲に着地しないんだよねえ。・・・・・・

さよならだけが人生だと言います。同じ楽しさがずっと続くわけでない。色んな事が
やがては終わっていく。だからこそ、一期一会な音との出会いを大事にしたいと痛感します。
Especiaのこれまでの歩みに感謝しつつ、旅立つ3人と続けていく二人(およびスタッフ)
の今後の活躍に期待したいと願いつつ、今日は筆をおきます。
ラベル:Especia
posted by なんくい at 16:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月25日

触媒としてのNegicco

今日はもう1本。先ほどの記事の続きです。

先の記事では、能動性をどうやって高めていくのかということを悩んでいたのです。
そこで浮かび上がってくるのあ、当ブログでもさんざん取り上げているNegiccoなのです。

Negiccoの魅力って何かというと、3人のキュートな佇まいや曲の良さももちろん
ありますが、タイトルに書いた「触媒としての魅力」が、際立っていると考えるのです。

葱という食べ物が、単独で美味しいというより薬味として他の料理の旨みを引き出すように、
この3人、周りの魅力を引き出すことにかけては、超絶的に素晴らしいわけなのです。

もう新曲の「矛盾、はじめました。」はラジオでは流れているそうですが(ということは
現在MVの制作が佳境なのでしょう)先にカップリングのMVが一部公開されています。


これを観て頂くと、曲を作ったconnieさん、編曲の北園みなみさん、そしてMV監督の
(おそらく)コンバットRECさんが、持てる才能を存分に発揮されていることがお分かりかと。
Negiccoに猫という絶好の素材をもとに、伸びやかに自分を表現されている。このように
一流のクリエイター達に異様に愛されているのも、その「触媒力」によるところ、なのかも
知れない。・・・・・・

しかし、そのように触媒として自己表現に駆り立てられるのは、何も一流のクリエイター
だけではないんですね。彼女達に惹きつけられるファンだって、彼女達に何か貢献しようと
勝手連的に色んなことをし始める。ファンサイトの充実ぶりは言うに及ばず、Tweetの探偵
のような二次表現をされる方とか、イラストを描かれる方、非常にユニークな形での応援も
目につきます。そもそもが、connieさんってファン第1号でしたからね。

よくNegiccoは「ほっとけないアイドル」とか言われますけども、それは言い換えると
ファンの能動性を見事に引き出している、とも言えるわけで。そのあり方は、ワン・アンド・
オンリーだと思いませんか。その典型が(よく引き合いに出しますけども)「#俺なりの
negiccoリリイベ最終日」でしょう。これなんかは、ファンの能動性の見事な結晶ですよね。
(ふう。なつかしくて、つい読みふけってしまったww)

ただ、彼女達に提供できるのは、自分の中の最高のものでなければいけなくて。
並居る一流クリエイターも、見事なまでにその人の最高レベルのパフォーマンスを
提供している。最近、私が彼女達を「こわい」と形容することがあるのは、
その意味で、だったりします。

だからと言って、Negiccoに能動的に関わるのが息苦しいのかというと全然そんなこと
なくて。(そこが、最大に不思議で謎なところですが)それが至福であり解放でもある。
Negicco現場はピースフルでみんなマナーが良いと言いますが、でも非常に解放感が
あるんですよね。

そう言えばNegiccoの独特のあり方をマーケティング理論に引きつけて語ろうという
本もありました。
新潟発アイドルNegiccoの成長ストーリーこそ、マーケティングの教科書だ -
新潟発アイドルNegiccoの成長ストーリーこそ、マーケティングの教科書だ -
その本の是非はともかく、そういう最新の理論で語りたくなるのも、ファンのあり方が
「新しい」から、なのだと考えます。

さて、彼女達は今年、最大の目標である「武道館単独公演」に挑むわけです。それを
達成するために、ファンは何をするべきなのか。それについては様々な意見があると
思います。しかし根本は、自分たちがどのようにNegiccoに関わってきたのか、その
原点に立ち返ることなのだと考えます。繰り返しになりますが、彼女達に周りの良さを
引き出す磁場があること、そしてファンの能動性を高めてきたことが、Negiccoの
ワン・アンド・オンリーな魅力であり、最大の「売り」であるのですから。

え、そういうお前(なんくい)にとっての「原点」は何かって?
そんなん、分かってまんがな!!!
ラベル:Negicco
posted by なんくい at 23:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「仕掛け」が必要だ

今日は、今考え中のことを書きます。最近いろいろ考えることも多くて。

このブログに関しては「笛吹けど踊らず」な現状をどうにかしたいなあと思っていまして。
「能動性」といくら言ってもかけ声だけなのを、何とか出来ないものかと。まあ
私の発信力がまあまだ、なだけですけども。

先に誤解のないように言っておくと、私は音楽を聴くのも大好きですし、自分の作ったものを
聴いてもらうのも大好きです。ですから、従来的なポップスのコミュニケーションを否定
しているわけではないんですよ。

ただ、それだけなのは勿体ないんじゃないかなあ、と思い始めておりまして。それは、
多様な音楽との関わり方の、ごくごく一部なのだと言いたいわけなのです。と言いつつも、
まだまだ私も「ポップの概念更新しよう」と言いつつも、従来的なポップスのくびきに
繋がれているのだろうなあ、とは思っています。

そういうことをつらつらと考えていたところ、発見がありました。お客さんの能動性を
高めるには、ただかけ声だけではダメで、能動性を高めるような「仕掛け」が必要なの
ではないか。自然と能動性を高められるような「仕掛け」が。

今の時代は、顧客をどんどん「受け身」にしていく時代だと感じていまして、その中で
相手の能動性を高めてようとするのは、流れに掉さす行為かも知れません。それに、作り手に
とっても、聴き手を受け身にしておく方がラクなんですよね。それを、能動的にしようとする
には、こちらはより手間をかけていく必要があるのだ。そのことに、昨日気づいたわけですわ。

じゃあ、その仕掛けは何なのか、というところは絶賛今考え中のところでして。むしろ
このブログの賢明な読者の皆さんにヒントを頂きたいなあ、とすら思います。この話、
実は続きがあるのですが、その話はまた後で。
posted by なんくい at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする