2016年04月30日

スピッツが新たな名曲「みなと」で始めようとしていること

4月最後の記事はスピッツを取り上げます。新曲「みなと」が素晴らしくて!


一部では口笛で参加のスカート澤部さんが話題になっていましたけど(スカートは
またどこかで取り上げますね!)スピッツがまた話題になるのはうれしいですね。

前作「小さな生き物」でいわゆるJポップ的な美メロを排することにしたスピッツ。
彼ら独自の美学を突き詰めることにした先に、今回のシングルもあると思います。

今回のシングルはさらに、ドラマティックな曲構成すらもない。わりとさらっとした
シンプルな(でも実は複雑な)ギター・サウンド。彼らの培ってきた音楽的果実が
この1曲に集約されている、と言っても過言ではないと思います。本当、何回も
リピートして聴いてしまうんだな。

そして、特筆すべきなのは歌詞。マサムネ氏の歌詞は常に文学性の高さが評価されて
いますね。ただ、今回はおそらく震災やその後の日本の状況が背景にあると思われますが、
それが見事に昇華された言葉たち。言葉によって分断しようという動きに抗するかの
ように、この歌は人をつなげたいという願いに貫かれていると感じるのですよ。
その困難な歩みを進めようとするスピッツに、心が震えます。歌詞もリンクを貼って
おきますね。

曲名:みなと 歌手:スピッツ

「君ともう一度会うために作った歌さ」という言葉に、心を持っていかれる方も
多いのではないでしょうか。この曲を媒介に、多くの「再会」が生み出されると
いいなあ、と思います。
ラベル:スピッツ
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2016年04月29日

RYUTistの新章が感動的な訳

本題に行く前に。このニュースについてコメントします。

D.W.ニコルズ、岡田梨沙が結婚&脱退へ。「ニコルズのメンバーであった事はわたしにとって誇り」

メンバーが結婚あるいは出産で脱退、という事態はそんなにないことではないんだけども、
この形の発表はちょっと異例ですよね。こちらのブログにもありますが、彼らのカラーが
実によく表れた脱退発表の写真だと思いました。

岡田梨沙さんを送り出す意味でも、何曲か貼っておきますね。先ずは、私がニコルズを知る
きっかけとなった曲。



スネアフェチの私としては、冒頭のスネア2発でお腹いっぱいと言えるくらい素晴らしい。
実はこの曲とは少し奇妙な出会い方をしたのですが、その話はまたいずれ。この曲について
言いたいことも、その時に書こうと思います。

もう1曲、素晴らしいブラシさばきが堪能できるこの曲を。


これを聴くと、世間で思われているイメージとは裏腹に、非常に音楽についてシビアで
ストイックなグループなのだと感じられますよね。新しいドラムの席が空いているとの
ことですが、彼らの音楽やパーソナリティに合った人と出会えるといいなあと思いますね。
(本題の前にこの話題を載せたことは、本題とちょっと関係あることが最後に分かるかと)

では本題に入りましょう。前に少し触れましたが、RYUTistのメンバー卒業&新加入で
新章に突入とのことですが、それに伴って新メンバーによる新曲が早くも公開されました。


まだ1コーラスのみなんですが、これを聴いてお恥ずかしながら少し泣いてしまった
んですよ。もちろん楽曲が素晴らしい(非常に慎重にメロディが選ばれていて、それが
この曲の質を高めている)のもありますが、そこに何か秘密があるのだろうか?
言っとくけど、私、何度か彼女たちを記事にはしていますが、そこまで思い入れがある
わけでもないしそんなに詳しいわけでもない。そんな門外漢の私の心を揺るがしてしまう
のは何故なのだろうか。それを、今さらながら探求することにしたのが今回の記事です。

幸いなことに、RYUTistの運営は、今回の始動の裏側をたくさん動画で公開されています。


これがその概要。ただこれを最初に見ても、その意味はあまりよく分かりませんでした。



これは、辞めていく大石若菜さん(わっかー)が、新たに加入する横山実郁さんに
ダンスの指導をしているシーン。こういうの、珍しいですよね。なんだかサラリーマンの
引継ぎみたい(笑)。こうして見ると非常にキレがあることが分かるわっかーのダンスと
まだ初々しくも未熟(失礼!)な実郁さんのダンスが対照的。

そしてレコーディング風景とメンバーのコメントが収録されたこの動画。


この曲の真髄をメンバーがイマイチ分かってない(すれっからしのオヤジが涙する曲だよ1)
コメントが面白いですが、同時に「Aメロ・サビ・落ちサビで歌い方が違うので難しい」
とかプロとしての顔ものぞかせています。

文章もありました。新潟のメディアが今回の新章突入を記事にしてくれています。

第3期RYUTist始動へ Arrivals and Departures(上)

新しいメンバーを加えた彼女たちの気持ちと、発表までこの話を隠し続けないといけない
辛さ(別にサプライズでいいじゃんね、と私は思うけど、そこを誠実に悩むのがRYUTist)
が綴られています。

第3期RYUTist始動へ Arrivals and Departures(中)

こちらは逆に、ソロだった横山実郁さんの側から見た物語。先にソロをやっていたとのことで、
彼女なりに背負っているものがあることが分かります。

第3期RYUTist始動へ Arrivals and Departures(下)

こちらでは、卒業していくわっかーへの思いと、ファンに向けてのメッセージが綴られています。
ここまで読んで、鈍感な私にも、ようやく事情が飲み込めてきました。

というのは、わっかーはただ「いなくなった」わけじゃない、ということ。彼女はすでに
RYUTistにかけがえの無い「何か」を残していて、その「何か」が今もグループの中に
息づいているから、この新しいRYUTistが事情を知らないおじさんの心を揺さぶってしまう
のだと、遅まきながら気づきました。

ライブ評も載せておきます。先ずは、わっかー最後のライブの評。
RYUTist HOME LIVE #174『大石若奈卒業ライヴ』@新潟SHOW!CASE!!

そして実郁ちゃん加入後最初のライブの評。いくつかありましたが、これを読んで頂きます。
RYUTist HOME LIVE # 175 配信視聴

RYUTistの新章は、苦い思いや不安も抱えながら、それを乗り越えていく力を得ている
という意味で、普通の「始まりの季節」とは異なる色合いを持つのだと考えます。
大事な人の旅立ちを経て、よりしなやかになった柳の申し子たちが、どんな活躍を
見せてくれるのか。期待したいと思います。
ラベル:RYUTist
posted by なんくい at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月27日

サブスク時代の洋楽楽理解説 #3Nick Lowe「Nutted By Reality」

サブスク・ライフを応援する洋楽回顧企画も第3回。第1回がホール&オーツで
第2回がヴェルヴェット・アンダーグラウンドってどんなんや?とお思いかもですが、
この振れ幅こそがこの企画のキモだったりしますので、是非選り好みせずにお付き合い
頂きたいと思います。そして今回はニック・ロウという渋いところに行きますが、
春のうららかな陽気にピッタリだと自負しております。(一応そういう季節も考えて
いるんですよ。夏を迎える頃にはハード・ロックとレゲエを取り上げたい、とか)

今回はニック・ロウ。聴いていただけましたか? 70年代にブリンズリー・シュワルツ
というパブ・ロックのバンドの屋台骨を支えてシーンを作り出し(パブ・ロックは
その後のパンクを用意したと言われているんですよ!)そのパンク全盛期にソロになる
というキャリアを経ている人です。今回はそのソロ初期の楽曲を中心に語りますね。

パブ・ロックとは?と言われると非常に説明するのが難しい(そのカテゴリーでくくられる
バンドの音楽性はバラバラですし)のですが、私はこの人の佇まいに象徴させていい
のではないか、と思っています。昔の音楽への豊かな教養を小粋に表現するという。
大仰なロックではないのですが、背後に大きなものを感じさせる。そういう美学って
日本人に合ってるんでしょうか(枯山水などの日本文化に通じる?)日本でファンが多い
のも分かるような気がします。

ニック・ロウのソロというと「Cruel To Be Kind」が大ヒットしましたし、代表曲のように
捉えられていますよね。(貼れる音源があった!)


このブログでも王道進行の代表例として取り上げましたし、私自身も大好きな曲です。
ですが今回取り上げるのはそちらではなく、ファン以外はおそらく知らない曲にしました。

(なんとオフィシャルに貼れる音があった! 感謝!!)

いかがですか? もうサイコーでしょ!!! ですが、ちょっと奇妙な曲だと思うのです。
先ずこの曲、メドレーになっていますよね。前半と後半で別の曲。前半は16ビートの小粋な
ナンバーで、後半は裏打ちが印象的な8ビートのちょっと切ないテイスト。実はその辺に
分析のしがいのある課題が隠れていたりします。(今回ちょっと深読みが入ります)

では早速分析に入ります。最初のパートですが、ベースとギターがユニゾンでリフを奏でます。
コードは、|G|Em|C・D|G|の繰り返し。といってもコードを奏でているのではなく、
ベースのフレーズからそうとしか判断できないというミニマルな音使いになっています。
そこへ、細かなギターの単音カッティングが入り込んできて、その上に歌が乗っかる。
(歌の部分で前半は単音カッティングが消えていて、後半に再び現れるんですが)
これらはいずれも単音、というのがポイントですね。それぞれに最小限に切り詰められた
音数で音の移動も少ないんですよ。先ずベース(とユニゾンのギター)はだいたいコードの
ルート音を奏でていますし、カッティングのギターはだいたいGの音で時々BやDに動くだけ。
ボーカルは一番饒舌ですが、それでもだいたいD→B→Gの近辺を行ったりきたりしてるだけ。
それでも基本はベースと5度の音程を保ってアンサンブルを成り立たせているのですが。

この2つないし3つの音(に16ビートを忠実に叩いているドラム)がそれぞれ音が重なったり
離れたりしながら最小限のアンサンブルを成立させている。ここでうら寂しい印象を与えない
のは、ちゃんと必要なところに音を配置させているからなんですけども。その意味では
ここのパートは完コピすれば勉強になる部分大ですよ。

そして、次のパートは前半のコーラスに当たるのでしょうか。ここはコード的には
 |C・G|C・G|C・G|C・D|
なんですが、それぞれの小節のコードの変わり目が1拍目の裏の裏。つまりCのコードは
それぞれ付点8分音符の長さしかないんですよ。ここはギターもコードを弾いていますし
うすくピアノも入っていますね。歌もコードの変わり目にメロディが配置されていて、
その意味では非常にミニマルなメロディと言えるでしょう。

そして、再び最初の部分(ヴァース)に戻って、再びコーラスへ。しかしここのコーラスも
3小節までが再現で、4小節目が16分音符でGmajorの「ドレミファソラシド」とユニゾンで
奏で、1拍置いて次のパートに渡すのです。つまりここの4小節目は3拍しかないんです。
この絶妙な省略(ちょっとリズムトリック入った)でメドレー的に後半のパートにつながる
ことになるのです。

その後半のパートがAmajor。前半のGmajorからは長2度上への転調になります。(その意味
では、前半パートが「ドレミファソラシド」で終わるのは絶妙でした!)そして、1小節目で
ブレイク(ピアノのグリッサンドも入りますね)で2小節目から本来の伴奏が入るという
形式でまるで1小節目がアウフタクトみたいですが、曲構成的にはれっきとした1小節目です。
ここのパート(後半のコーラスと見なしましょう)コードはこうなっています。
 |A|D|E|A・EinG♯・Em inG|F♯|Bm|DinA|E|
ここは繰り返しなしの8小節。前半は一→四→五→一と普通の3コードですが、
後半は六M→二という切ないコード進行になっています。それ以上に4小節目のつなぎの
コードですよね。ここの部分だけ付点8分音符単位でコードが動くのもポイントですが、
ベースは半音ずつ下がって5小節目の六Mに渡す、つまりクリシェ進行なんですよ。
しかも3つ目のコードがEmとF♯の切なさを際立たせるコードになっているんです。

メロディも、前半は奥田民生ばりに動かないメロディライン(いや元祖はむしろこっち!)
なのですが、5小節目で少しだけ跳躍してセブンスをイメージさせるEの音に上がる。
6小節目からはそこから少しずつ下がるのですが。その切なさを彩るように6小節目から
ピアノのオクターブのフレーズが挟まれるのもポイントですね。

そして、後半のヴァースのパート。コードはこうなっています。
 |A|E|A|E|A|E|A|D|E|
なんとここは9小節になっているんです。これは1小節目がアウフタクト的な機能を果たしている
と見なしてもいいのでしょうね。そして正確には2小節目から始まる。そして五→一という
繰り返しを3回繰り返して四→五となる。ここはシンプルなコードでちょっとおどけた味の
パートですね。最後のところだけメロディが少し飛躍しますけども。

後半は、コーラスから始まってヴァース〜コーラス〜ヴァース〜コーラスと繰り返します。
後半はまあまあ長く繰り返しますね。コーラスが3回も登場しますし。時間的にも1分少しで
前半から後半へ橋渡しされているので、明らかに後半パートが長いわけです。そして、
印象的なのがアウトロ。コーラスのEのコードからなんとCのコードへ。つまりここで
AmajorからCmajorへ転調しているのです。これは短3度上への転調。いわゆるポップスの
王道ですね。色合いが鮮やかに変わるので重宝される転調です。それをここで使う。

そしてCmajorの一→四→五を2回繰り返し、今度はE♭majorへ。さらに短3度上へ転調
を繰り返すのです。そしてE♭majorの一→四→五の後(コードはB♭)Dのコードへ。
つまりAmajorに戻っているのです。多少強引ですがそんなに不自然ではない戻り方で
Amajorの四→五を奏でて余韻を持って終わる。そんな終わり方をします。非常に色彩
豊かに、かつドラマティックに展開したと思えばあっけなく終わるんですね。この辺が
ニクいですね。並のアーチストならたっぷり展開するところをサラっと見せただけで
終わる。この辺が小粋と言われる所以でしょうか。

ただ、楽曲の構成をこうして紹介しましたが、非常に奇妙な曲であることは確かでしょう。
楽曲の解説をしている海外のサイトでも「前半はディスコマナーで後半はマッカートニー風。
非常に奇妙な構成だ」と紹介されていました。ただその奇妙さが私達を捉えて離さない
のも事実でして、それは何故なのだろうとあれこれ考えるのは楽しいですよね。

ここからは私の深読みになるのですが、この曲のキモは「二つの音楽性に引き裂かれている」
という点だと考えます。前半のディスコマナーというのは当時の今風というか、ちょっと
トレンドに乗った音作りだったのでしょう。ただそれを、歴史のつながりを感じさせる
料理をしているところがニック・ロウ的ではありますが。前半のパートをミニマル的と
称していましたが、最小限の手数でトレンディなニュアンスを再現している。そこが
先ずポイントだと思いますね。

そして後半のマッカートニー・パート。ここは、当時からしても明らかに懐メロっぽく
聞こえたのだと推測します。ここでグッと切なくなるのも意図的にそうしているというか。
こちらの方が長いというのも、曲の本線はこっちだというわけですね。しかしそれを
前半からのメドレーにしたことで引き裂かれ感が出てくるわけですよ。「こういう
今どきのディスコ風に出来ちゃうけど、俺がやりたいのはこっちなんだよ」あるいは
逆に「こういうのも出来ちゃうわけだけども、俺っちが求められるのはこっちなんだ
ろうなあ」なのかも知れませんが。ですからアウトロのドラマティックな転調も少し
なんちゃって的と言えますね。「こういうのも出来ちゃうけど、ベタにはやんないよ〜」
って舌出している、みたいな。

「Nutted By Reality」の「Nutted」は何を意味するのか判然としないのですが、
私はクルミをパカっと割るような意味かなあと推理しています。となると
タイトルは「現実に引き裂かれて」という意味になるわけですが、そう解釈すると
この曲の持つ奇妙な魅力を現しているように思います。

次回は5月の終わりごろになります。ちょっと梅雨に近くなるので湿り気のある曲を
お送りしましょうか。R.E.M.の「Laughing」を料理しますので、是非初期のR.E.M.を
聴き倒していただきたいと思います。
ラベル:楽理解説 nick lowe
posted by なんくい at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする