2016年08月31日

「感動は差別」なのか

表現の自由の記事については、性表現の問題を連載中なのですが、ちょっとタイムリーな
話題が飛び込んできたので、これについて語りたいと思います。

「障害者を感動話に」方程式批判

いわゆる「24時間テレビ」のフィナーレの時間帯にあえてぶつけたEテレ「バリバラ」の問題提起
です。「24時間テレビ」の障碍者の扱いについては、既に色んな人が論じていますけども、今回
改めてこの問題を考えたいなあと思うんですよ。というのも、先日の相模原での事件もありましたし。

その相模原の事件に関してはこの論考を読んで頂きたい。
【相模原19人刺殺】それでも、他者とつながり生きる。脳性まひの医師の思い

ここで提唱している「医療モデル」から「社会モデル」への転換、というのは最近のトレンドの
ようですね。ディズニーの「アナと雪の女王」なんて正しくこのモデルを啓蒙する物語と読めます。

ただ、この「社会モデル」というのは社会の側(つまり大多数の側)が変化しないといけないわけで、
そのためには、これまで以上に障碍に対する理解が深まっていかなければいけないわけです。

私は、障碍者が頑張る姿を見て「感動する」ことは一向に構わないと考えますし、「24時間テレビ」
が障碍者について取り上げ続け、お茶の間レベルで理解を深めている功績も、小さくないと思います。

しかし問題は、その視点の「固定化」なんですよ。この連載で何度も言っている通り。その意味で、
今やメジャー・コンテンツとなっている「24時間テレビ」の責任は重いと考えます。彼らがその
自覚をもって、次々に障碍に対するアプローチを更新していかないと、いくら「バリバラ」で異なる
視点を提示しても、多勢に無勢ですから。(今回、過激な対決姿勢を取ったのには、そういう状況
へのいら立ちもあるのかなあと感じます)

話は変わりますけども、NHKスペシャルで「貧困女子高生」を取り上げたことが問題になって
いますよね。「あれはでっち上げだ」と騒ぐ人たちがいて。それについてこういう論考があります。
NHK「貧困女子高生」報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した

そこで「相対的貧困」への理解が浅いという問題提起があるのですが、別に構わないんですよ。
そこで「おかしい」と声を上げても。女子高生のプライバシーを晒し過ぎるのは問題ですけども。
ただ問題の本質は、あの人たちが「意見を変えないこと」なんです。あの人たちは、自分達の
考えが「間違っている」ことを、必要以上に恐れているように感じてしまいます。そここそが、
最大の問題。

別に間違っていてもいいじゃないですか。相対的貧困というのは、まだ社会の理解が浅い分野
なんだそうですし。(私も実のところ、まだそれほど理解が深まっていません)そこで違うと
なったら「すいませんでした」と謝って、学べばいいのですから。片山さつきさんやその支持者は
それをどうもしないんですね。そういうところが潔ければ、私はあーゆう人も存在意義はあると
思いますけども。政治的主張に様々なものがあって然るべきだし、リベラルや福祉にあぐらを
かいている輩は確かにいますからねえ。

障碍についても、一般の人の理解が浅いのは仕方ないんですよ。当事者や詳しい人からすれば
「あいつら分かってない」と憤る気持ちも分かるのですが、それをやり過ぎるとかえって窮屈に
なって、一般の人の無関心につながります。いわゆる「寝た子は起こすな」論ですね。

実際「感動」というのは視聴者に行動を起こさせる手っ取り早い方法(あの番組の目的は
「寄付を集めること」ですから)ですし、感動にも色んな種類があるので一概に差別だと
言い切っちゃうと、それもまた「視点の固定化」です。問題は、繰り返し言っていますが
その切り口が、障碍者の一面しか取り上げていないのに、それが固定化してしまうこと。
それを、当の障碍者たちが窮屈に感じているのなら、なおさらです。ですから、24時間テレビの
制作者も、感動をベースにしつつも、毎年新しい視点を少しずつ導入していく。そうやって、
視聴者と共に理解を深めていくようにすればいいんじゃないですかね。そして彼らには、
その責任があると考えます。なんだかんだ言って、多くの人に影響を与える番組なんですから。
ラベル:差別
posted by なんくい at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

Negicco NHKホール公演

もう一月も前になるライブで、すでに色んなレビューが並んでいますが、私も感想と
若干の問題提起を行いたいと思い、今さらながらペンを取ります。

ファン以外には何のこっちゃとなるといけないので、全体像が分かるレビュー記事を
紹介しておきます。

Negiccoを更新するNHKホールワンマンライブ<前編>
Negiccoを更新するNHKホールワンマンライブ<後編>

で私はというとライブの感想と、大きくなったNegicco界隈への印象、そしてNeo☆さんの
「武道館を一旦諦める」発言へとつなげていきます。

先ず私は、今回のライブはキャリアの総括色が強くなるかなあという事前予想を立てていました。
NHKホールというのは特別な舞台ですし、それを強調したセットリストになるだろうと。ところが
そういった感傷はほぼ最初のパート(いきなりデビュー曲の「恋するねぎっ娘」で始めて・・・)
に固め、本編はNEGiBANDの生演奏をバックに、新作「ティー・フォー・スリー」の楽曲を全部
(「おやすみ」はシングルのバージョンでしたが)披露するという新作中心モード。つまり、
「今の自分達を見せる」ことをメインとしたステージでした。

そして、それが思っていた以上に良かった! NEGiBANDの素晴らしさは以前書きましたけども、
まさか新作を完全再現とは!! 「ティー・フォー・スリー」はアレンジに様々なアーチストが
絡んでいて、打ち込みの音も多く、生バンド向きでないかなあと感じる曲もあるのですが、それを
リアレンジすることなく(むしろ昔の曲の方がリアレンジしている)完全再現。それも、その
テクスチュアを見事に音像化している手腕には脱帽しました。特に光っていたのはバンマス
大西さんのギター・プレイの多彩さとmabunuaさん。「Good Nightねぎスープ」はご自分の
アレンジだから上手くやりはるだろうと思ったけども「江南宵唄」でCDそのままの音が
飛び込んできたのにはびっくらこきました。

そしてバンドもNHKホールということでフル仕様。ということで初めてお目にかかるNEGi
ホーンズでしたが、この人達が実にサイコー!!!だったんですよ。演奏もさることながら、
演奏していない時に踊りまくり、お客を煽りまくり! おまけにネギライトまで持ち出して、
さながらバックにヲタクが3人いるという佇まいでした。バンド仕様でなくても3人だけが
バックにつくライブもあったようですが、心強い味方達ですね。

そんなサイコーのバックを背にして悪いわけはない。ただ先の記事に書いた自由度については
ちょっと控えめだったかな、という印象。まあ今回はアルバムの曲をメインで魅せていくという
性質だったからだけども、個人的にはもっとはっちゃけてもいいかなあと感じました。
一応「劇団なおなお」(グッズ紹介コーナー)などあったんですけどね。

そういった、今回わりとパッケージされたライブという印象が強かったのですが、その理由と
して考えられるのが、やはりNHKホールの箱としての大きさ。(あと格式というのもあるけど)
やはり大きくなったなあという感慨はどうしても抱いてしまいますね。ちょっと遠くの存在に
なったのかなあ、と寂しくなる面もあったり。実はそこが、今回語りたいところなんですよ。
アーチストがビッグになっていくに際して、常に付きまとうアノ問題を。

これも何度も語っていますけども、Negiccoの大きな魅力の一つにファンの存在があります。
ファンの存在あっての今日の彼女達なわけで、でも大きくなるということは新規のファンも
増えるし、同様にライトなファンも増える。それでも奇跡的なくらいにファンの規律や雰囲気を
保てている方だと思いますけども、これ以上うすくなっていくことに危機感を抱いたのでは
ないか。新しいファンやライトなファンにも、じっくり接して満足度を高める「時間」が
必要なのだと、彼女達や運営は考えたのではないか。

それが「今年中の武道館は諦める」という宣言の意味だった、と考えます。

あと、これ以上広げていくのが厳しい局面に立たされているのも事実かなあとも思いますね。
もう音楽ファンには十分に存在は認知されていますし、その上でさらにファンになってもらう
には、じわじわと攻めていくしかないだろうなあと。特に「ティー・フォー・スリー」の路線
(こちら方面には広い鉱脈があるだろうと思いますけど)は支持を広げるのにある程度時間が
かかりますよ。だから「じっくり行きます」という宣言にはもろ手を挙げて大賛成ですね。
そりゃあ彼女達は断腸の思いでしょうけども、「遠回りこそが近道だった」と思える日が来ると
私も信じます。

今回素晴らしかったNEGiBANDとも「ひと段落」だそうですが、それは来るべき大箱仕様(それは
本格的に武道館を目指す時でしょう!)に取っておくということでしょう。バンドってお金が
かかりますからね。彼女達はまた、3人で何が出来るかというチャレンジに向かうことになります。
そうして、色んな現場で今の規模での密度を濃くしてから、また武道館を目指しましょう。
ラベル:Negicco
posted by なんくい at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

サブスク時代の洋楽楽理解説 #7 Matisyahu「Smash Lies」

夏の終わりの楽理解説。こんにちは、なんくいです。毎月恒例の洋楽楽理解説ですが、
今月はウサイン・ボルト選手の偉業に敬意を表して、レゲエを取り上げようと思います。

といっても今回取り上げるのはジャマイカン・レゲエではなく、Matisyahuというユダヤ教の
レゲエ・アーチストという一風変わったアーチストです。年代的にも2000年代というかなり
新しめのものを取り上げることになります。

といってもMatisyahu、結構有名なアーチストでして、ついこの間こんなニュースで話題に
なっていますよ。

【鈍感すぎ】有名アーティストの曲を歌っていた青年が「本人が目の前にいる」ことに全く気付かず! 彼の天然っぷりが微笑ましい件

今回取り上げる曲が、ここでも取り上げられている「One Day」という彼の代表作が収められた
「Light」(「閃光のスペクトラム」という謎の邦題がついてます)というアルバムの1曲目
です。結構売れたので知っている人もいるかも知れませんね。

このアルバムがリリースされた時に聞いた裏話では、冒頭2曲の先鋭性にビビったレコード会社が
シングル向けの曲を作るようにMatisyahuに要請し、それで「One Day」が作られた、なんて
話もあるくらい、今回取り上げる「Smash Lies」はレゲエの中でも非常に先鋭的でカッコイイ
曲だと思いますね。

では早速楽理解説に入っていきます。この曲は一応レゲエなんですが、あまり典型的なレゲエの
ビートを使っているわけではありません。基本的に1拍目と3拍目の表を強調し(それと2拍裏
とでビートの根幹を形成している)そこに16分音符のおかずが絡んでくる、という構造を持つ
リズムなんですよ。ただその16分音符のおかずが決まったところに挿入されるわけでなく、複雑に
絡みつくところが、構造分析をやっかいにしています。まあ、なんとか頑張ってみます。

ではイントロから。ブズーキらしき音のリフから始まるこの曲。このリフも16分音符よりも細かい
トレモロを駆使して非常に高速なビートを意識させます。そこにパーカッションも細かいビート
(これも16分音符より細かい)で応酬。そこにバスドラが入り始めてから曲らしい展開になります。

この場面、低い音(ストリングスっぽい)のシンセで基幹のリズム(1拍目と2拍裏)を刻み、
その裏でパーカッションとポコポコした音のシンセが16分音符の細かいフレーズを刻んでいます。
ただそのフレーズは隠し味程度に使われていて、耳を澄まさないと聞き取れないくらいの大きさ
で、実際のところは細かいビートのニュアンスをつけ加えているだけと見られます。

そこへボーコーダーか何かでサンプリングされた(レイディオ)という声が絡んできます。
これは1拍目から8分音符単位で刻まれているのですが、それがyがて音の高さを変えて
(おそらくそれもサンプリング・キーボード辺りを使っているのでしょう)掛け合い的に
繰り返し放たれていきます。この「掛け合い」というのが、この曲に一貫した手法なんですね。
その予兆が早くもイントロから表れているわけです。

そしてスネアのブレイクに導かれるようにヴァースへ入っていきます。このスネアのブレイクの
リズムがこの後何度も繰り返し出てくるのですが、下の譜例のようなリズムなんです。
smash lies snare break.jpg

この16分音符の2連打がずれる辺りがポイント。この前半2拍分のリズムが、この後ハイハットの
フレーズにも繰り返し出てきます。バスドラとスネアが大きいリズムを叩き、その対比でハイハットが
この細かなパッセージを奏でる。ビートとして多層構造を持っていて、そのそれぞれに参照するように
色んなフレーズが現れては消えて、曲が展開されていきます。

というのも歌メロも「Dream awake」と歌っている、比較的大らかなフレーズ(最後のところが
拍の頭に来るように歌われる)と「get'em and get'em and go aah」と連射している
細かなパッセージとが交互に現れる。それも掛け合いなどでその二つのフレーズが重なったり
しながら展開されるんですよ。ここの歌メロは非常にパーカッション的ですよね。

そこから歌のようなラップのような箇所になだれ込みますが、ここでもいきなり3声のコーラス
(根音のG#を除いたG#min7の和音を形成している)になったり、「Radio station」の
ところから急にラップっぽく(音やリズムを外す感じ)なったりと油断ならない展開を見せつつ
コーラスに突入していきます。

コーラスではロック的なエレキギターが白玉のフレーズ(2分音符以上の大らかなフレーズ)を
奏で、メロディにも2拍3連が登場したりと、比較的大らかな動きが目立つ展開になります。
それが、コーラスっぽいってことですかね。細かなパッセージを奏でるハイハットも前半はお休み
しているのですが、例のスネアのブレイクをきっかけに後半ではハイハットも復活します。

これが1コーラス分。こんな感じで2コーラス目も行くのですが、最初の「Dream awake」の
掛け合いのところでは音が抜かれていたり、反対にコーラスのところではイントロのブズーキ
らしき音のリフが挿入されていたりと変化もあります。

そして2コーラス後にブレイク的に音が止んでいき、そこからラップのパートになるのですが、
ここでは低音的な物がほぼ抜かれていて、シンセも高音で基幹のリズムを刻んだり、イントロで
表れていたパーカッションの16分音符的なフレーズが復活していたりと、割とサウンドの重心が
高いパートになっています。そしてまたもや、スネアのブレイクのフレーズと共に3たびコーラス
へ突入するのですが、ここでクールなのコーラスの後半で音が抜かれてイントロのブズーキらしき
音のリフが中心のバックになり、そこへヴァースの「Dream awake」や「get'em and get'em
and go aah」などのフレーズ、あるいは他で現れたフレーズがリプライズされる。それとコーラス
の「Smash lies」とが掛け合い的に表れるようになっている。ニクいなあと思いますね。さらに
コーラス特有のエレキギターも現れたり消えたり、とここは非常にダブ的な音の出し入れが複雑に
綾なす箇所(実際はかなりアドリブ的なんでしょう)で、聴いていて非常に高揚するところです。
そうやって高揚させておいて「Dream awake」という叫びと共に曲が終わる。

まとめます。曲の構造としては細かなパッセージと大らかなフレーズとか多層的に表れ、しかも
掛け合い的に複数の細かなパッセージが綾なす構造になっているので、聴いていて変化の多い
複雑な快感を味わえる楽曲となっている。楽曲構造としては非常に単純なんですが、その掛け合いの
変化の妙で、飽きのこない次から次へとめくるめく展開になっています。それでいて過去現れた
フレーズのリプライズも多くて、その辺も上手いですね。

次回からは秋仕様。9月はPrefab Sproutの「The King of Rock 'N' Roll」をお送りする
予定です。大天才Paddy McAloonの世界を、是非予習しておいてくださいね。
ラベル:楽理解説 Matisyahu
posted by なんくい at 18:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする