2016年11月30日

サブスク時代の洋楽楽理解説 #10 Aztec Camera「Walk Out to Winter」

ずいぶんごぶさたしてしまいまして。というのも時間が出来た時に限ってパソコンの
調子が悪くなると。。。そんなこんなで2週間も経ってしまい、気づけば今年もあと
一か月。色々言いたいこともたまっているのですが、とりあえず毎月の連載記事である
楽理解説をすませましょう。

今月はアズカメ。初期のネオアコ期のアズカメは日本でも異様に人気で、特に渋谷系界隈
では非常に崇められている存在(それゆえ、その後のアズカメは評価が低い?)だったり
します。特に今回取り上げる「Walk Out to Winter」はその象徴とも言える曲でして、
かせきさいだぁの「冬へと走りだそう」の下敷きになっています。(そしてでんぱ組の
「冬へと走り出すお」はさらにそれを踏まえた楽曲)

楽曲面は後でたっぷり解説していきますが、歌詞も非常によく言及されますね。特に
「Faces of Strummer that fell from the wall/But nothing is left where they hung
(ストラマーのポスターが壁から剥がれ落ち/誰もそこに代わるものがいない)」という
ラインはパンクの終焉とヒーロー不在の(当時の)ロックシーンを見事に描写した、いや
「ヒーローなんていなくていい」という新たな宣言のようにも聞こえて、非常に新鮮
だったんだそうです。個人的には他に「This generation, the walk to the wall/
But I'm not angry, get your gear, get out of here(壁に向かって歩いているみたいな
世代さ/でも僕は怒りはしない。ギアを上げてここから抜け出すんだ)」というラインも
新人類っぽくて好きですね。全体的に、大文字然としたヒーローの時代から、小さな僕たちの
日常こそが主人公、といった趣の新たな価値観に貫かれた、素晴らしい歌詞だと思います。

いかん。つい歌詞について熱っぽく語ってしまった。曲ですね。メジャーセブンスコードを
多用した非常にオシャレな曲調ですね。こちらも細かく見ていくと完璧と言えるほどある
価値観に貫かれていることがお分かり頂けるはずです。では早速行ってみましょう。

イントロもなくいきなりサビの一部が提示されます。このサビも非常に印象的なコードが
使われておりますね。ではそのコードを示します。
  |E|D|C#min7|A#min7-5|
  |Amaj7・D#min7-5|G#min7・C#min7|C7|B7|
冒頭からいきなり一→♭七というオシャレなコード進行。さらにそこから六へいくのも
たまらなくオシャレですよね。ところがそこから次のコードで陰りが出てきます。
これはマイナーセブン・マイナスファイブというディミニッシュ・コードの一種で
位置も一の真裏。しかし前の六の和音の代用コード(1つしか構成音が違わない)で
その流れも自然なんですよね。

そこへ5〜6小節で二拍ごとに細かくコードチェンジをしていきます。そのコードも
Amaj7→D#min7-5という真裏への進行でハッとさせられる部分を含んでいまして。
この進行は、ナポリの二の借用というこのブログでもおなじみのコード進行なんですが、
普通はその場合後のコードが属7になるのですが、ここではマイナーセブンマイナス
ファイブ。それにより透明感が増すような効果がありますね。そしてそのおやっという
コード進行(緊張)を回収(緩和)するD進行の流れが来て六に来るのですが、そこから
7〜8小節目の流れもニクいですよね。要は半音ずつ降りているという。しかも
六の和音はマイナーなんですが、そこから♭六→五と属七を続けるんですよ。それが
ここにビターなテイストを絶妙に入れている。しかもここのメロディも半音ずつ降りて
いるのですが、その降り方も絶妙。それぞれのコードの7度の位置(属七の七ですね)
から6度に。つまり、シックスのテイストも入れているんですよ。そこがタマラナイ
ですね。

いかんいかん。冒頭の8小節だけでアツく語り過ぎた。間髪入れずにAメロに行きます。
というよりこの曲、コーラス(サビ)〜バース(Aメロ)という二部構成なんですよ。しかも
今見ていきますけどもAメロとサビでかなり似たコード進行なんですよ。つまり、同じ
ような日常での細かな変化を描く、というつくりになっているんですよ。なんてゴタク
を並べるよりも、具体的にコードを見ていきましょう。
 |Emaj7|F#min7|G#m/B|G#min7・G#min7-5|
 |Amaj7・D#min7-5|G#min7・C#min7|C7|B7|
 |Emaj7|F#min7|G#m/B|G#min7・G#min7-5|
 |Amaj7・D#min7-5|G#min7・C#min7|C7|B7|
5〜8小節目、そして13〜16小節目がサビとコードが同じ。しかも5〜8小節目はメロディ
までほぼ同じですよね。ですからこの4小節のコードとメロディがイヤでも耳に残るように
出来ているんですよ。それはともかく前半の4小節目の解説をしておくと、基本は一→二→
五→三というコード進行なんですが、3小節目の五の和音がシックスを強調するようなコード
になっている。ここでは五度のF#を奏でていないので、表記として三/五の分数コードに
していますが、そういう次のコードを先取りするような(しかも三のコードなら前からの
つながりで一→二→三と順次上がる進行になる)、あるいはシックスで五のドミナント感を
緩めているような(大きなドラマツルギーを避けるという意味でも必然性がある)意味合いが
あるのでしょう。

そして4小節目の後半に、5度の音がD#からDへと半音下がっている。これにより、一種の
ディミニッシュ・コードのような陰りを生んでいます。このD#→Dという流れは、次の
小節のメロディであるC#を導くという意味もありますが、それは曲が進むことで分かる
ことで、ここ自体は聞いていて「おや」と思う効果があるんですね。細かなところだけども
ここも効いていると思います。

そしてこの4小節間のメロディですが、だいたいBの音のほぼワンノート(アクセントのない
ところでG#に下がったりしますが)それがコードを当たって違う効果を生んでいるわけです。
具体的にはEのコードには5度(やや浮遊感あり)→F#mには11度(かなりヘンな当たり方)
→Bには1度(ここは却ってドンピシャで不安定に感じる。コード自体ドミナントを弱めて
いるので、そこともアンバランス)→G#mには3度(ここで普通な感じに)と、ワン・ノート
を奏でていても色んな効果が出ているわけなんですね。それも、安定→不安定→安定とドラマに
なっているのも面白いです。この曲、ベタなドラマは避けつつ、巧妙にドラマツルギーを
演出していて、ここなんかもその表れなんですよ。

そしてAメロで後一つ述べるならば、後半のメロディですね。13〜16小節目は微妙にメロディが
変わっています。具体的にはC#→D#に上がっているところと16小節目が順次上がるメロディに
なっているところ。いずれも前のメロディより上へと向かうことで、少しだけ熱を帯びている
(この少しのさじ加減も絶妙!)ことを演出しているわけなんですね。

そしてサビ。ここの本サビは冒頭の部分と微妙に異なっています。先ずはコードを見ましょう。
  |E|D|C#min7|F#7add9|
  |Amaj7・D#min7-5|G#min7・C#min7|C7|B7|
  |E|D|C#min7|F#7add9|
  |Amaj7・D#min7-5|G#min7・C#min7|F#7add9|B7add9add13・F#m/B|
4小節目(と12小節目)が二Mになっていますね。これは五の副二なんですが、次に五に行くわけ
でもないのに。ただこれは前の六の和音からのD進行で、ここへは自然な流れなんです。
そしてここから五に行かないのは、次の15小節目への伏線でもあるんですね。
その15小節目〜16小節目はサビ終わりということで二M→五とさすがにここは解決します。
メロディも高いところにいっていますし。しかしここも、ドミナントのコードは非常に
テンションコードで一筋縄ではいかないように出来ていますね。この最後のF#m/Bは
間奏への伏線でもあるのですが、それは間奏のところで解説いたします。

そして2コーラス目ですが、コードは同じですがAメロのメロディが少し変わっています。
Eから下がるというかなり高いところに行っているメロディですね。3小節目からの
D#→D→C#と半音で下がっているところが色っぽいですね。これは半音で下がることで
バックのコードとぶつかって不安定になることから生まれる色気なんですよ。

そしてサビから間奏に行きますが、ここでEmajorからDmajorへ転調します。一音下へ転調
という下がる転調はわりと珍しいですね。まあ冒頭のE→D(一→♭七)を踏まえた転調なん
でしょうが。ただこれも、転調前の和音がF#/Bで、構成音がB〜F#〜A〜C#なので、間奏
冒頭のDmaj7の構成音(3〜5〜7音)と同じなんですよ。ベースだけが3度上がっている。
そうやって転調を自然に聞こえさせる工夫も行っているんです。

では間奏のコードを拾いますね。
 |Dmaj7|Gmaj7|A6|Dmaj7・D7|
 |Gmaj7・C#min7-5|F#min7・Cdim|Emin7・A#dim|Dmaj7・D7|
 |Gmaj7・C#min7-5|F#min7・F#m/B|E7add13・E7|Gmaj7/A・Em/A|
 |F#7add13・F#7|Amaj7/B・F#m/B|

転調しているだけで、ここもあまりAメロやサビと変わらないですね。ちなみにここでは
一→四→五と進んでいます。五がシックスを強調してドミナント感を弱めているところも同じ。
5小節目からの展開も共通ですが、さらにCdimやA#dimとディミニッシュ・コードを使って
いるのが特徴的。ここはD進行の半音上(となると真裏に進行している!)で、ドミナントの
半音上のディミニッシュは属7の代用コードなので自然に聞こえるはずです。そういうお遊びも
含みつつ、二M→五の進行を連ねて再びEmajorに調が上がるという形で(なのでここは2小節
多い)サビへ戻っていきます。

その最後のサビは、そうやって上がってきたからか、G#という高いところを中心にした高い
メロディになっていて、非常にエモーショナルに演出しています。でもここもメロディの起伏は
乏しく、わりとずっとG#へ行ってる感じで、そこもらしいっちゃあらしいですね。そんなに
大文字のドラマに走らない。そこが、ネオアコの価値観なんです。

そしてアウトロのコード。
  |E7|D7|C#min7|F#7add9|
これの繰り返し。面白いのは前半の2小節が属7になっているところですね。こういうところで
微妙にロックっぽさを演出しているのもカワイイです。でも最後はC#min7→F#7add9→Amaj7
→Emaj7と、やっぱりメジャーセブンで終わる。この辺、ネオアコの矜持ですかね。(多分ウソ)

いかがだったでしょうか。今回はかなり熱が入った解説でした。好きな曲というのもあるのですが。
まあ楽理解説は、基本好きな曲しかやらないですけどね。次回は今年最後。何となく今年を象徴
する感じがする曲wwでTears For Fearsの「Everybody Wants To Rule the World」を取り上げます。
TFFは他に解説のしがいのある曲がたくさんあるんですが、あえて有名曲でいきます。知らない
人はいないと思われる曲ですが、一応予習でもしておいて下さいね。
posted by なんくい at 11:32| Comment(3) | TrackBack(0) | 音楽理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月16日

ドワンゴ川上会長のCG動画は「生命に対する侮辱」なのか

前回、ストレスが65%軽減する音楽なるものについて記事を書きましたが、それを書いた
頃に、それを上回るバズが巻き起こっていまして。これは一言言わないとなあと。

先ずはこの記事を読んで頂きましょう。

宮崎駿監督、ドワンゴ川上量生会長を一喝「生命に対する侮辱」

これを読んで「宮崎駿さん相変わらずだなあ」と半ば感心していたのですが、そこからの
川上会長バッシングがあり、それに対して反論するような次の記事を見つけました。

ドワンゴ川上のグロ動画は王道アートやぞお前ら

うーん。ここには重要な論点がいくつか言及されているんですけども、怒りにまかせて書いた
せいか、それが整理されていない状態で、イマイチ伝わりにくい記事ですね。ちょっとこれは、
じっくり考える必要があるなあと感じました。

そこでここから私も考えるわけですが、今回の記事はそのイントロダクションに過ぎません。
議論のとっかかり&予告という性質を持つ記事になります。

先ず些末なところから片付けますと「そんなに怒ってない」とか言ってますけども、それは
宮崎さんが大人な対応を見せているから(一応相手は社会的地位のある会長さんですし)
であって、十分に怒りは伝わってくると考えます。質の悪い老害(←ってDIS入ってるww)と
比較しても・・・と思いますね。実際、天下の宮崎さんにあそこまで言われて川上会長も
わけの分からない弁明をしていたので。(その前には「ゾンビゲームの動きに使える」とか
言っていたのに、「世の中に見せてどうこうと、そういうもんじゃない」と弁明している)
あるいは、鈴木プロデューサーに「どこへ辿り着きたいんですか」と問われて技術者の一人が
「人間が描くのと同じように絵を描く機械」と言っていて、じゃあ人間とは異なる想定を
しているのは何なんだという矛盾があったりします。でもこれは、技術者の本音(の一部)
かも知れないけども、天下の宮崎&鈴木に問い詰められてしどろもどろになった結果とも
取れます。なので、この辺の受け答えにまともに論究するのはフェアではないかなあとも
考えます。

さて、例の反論記事では3つほどの論点が提示されています。一つはドワンゴのやっている
ことは人間の尊厳についての議論を生み出すという意味で芸術的だということ。二つ目は
AIがこのような「芸術」を生み出したのだという驚異。三つ目は、ドワンゴは制作というより
配信を行う会社なので、誰かの創作意欲をかき立てられれば勝利だということ。(なので、
今回宮崎さんの復帰を後押しした意味では勝利なんだ、そうな)このうち三つ目の話は私は
興味がないので、前半の二つの論点ですね。これは掘っておく意味があると考えます。

先ず私が違和感を抱いたのは、一つ目の「人間の尊厳についての議論を生み出す」=「芸術的」
という短絡的な議論です。議論を生み出すのが善なのでしたら、猟奇的な殺人だって肯定されて
しまいますでしょう。これまでの常識では測れない犯罪が起こった時、私達はそれをきっかけに
いろいろ議論することになりますが、その議論の材料になったからといってその犯罪が肯定
されるわけではないでしょう。ただ話は芸術なのでもちろん議論が別であることは承知している
わけですが、議論を起こす=いい芸術というのも短絡的かなあと。もちろん芸術にそういう
側面はあるし、私もどちらかというとそういうコントロバシーな表現が好きな性質ですけども、
深く考えることもないけどもただただいい表現というのも存在します。(私は思考フェチなので
そういう存在についても深く考えを巡らすのが好きだったりしますが)

それと議論を引き起こすことと好き嫌いはやはり別物ですよ。もっとも自分にそのような認識を
もたらしてくれたという意味での最低限のリスペクトは抱くべきですけども、ヤなものはヤだし、
それが自分の倫理観に照らし合わせて許せないものであれば、なおさらです。それを、「そういう
深淵な議論を巻き起こすから」といって擁護するのは、やり過ぎな印象がありますね。

二つ目の議論についても違和感があります。ここでAIがやったのはあくまで計算であって、
その初期設定とかは未だ人間がやっているんですよ。もしAIが「痛みを感じないという想定
でやったら」とかアイデアを出したのでしたら大したものですけども、彼らの説明を聞くに
どうもそこまでもないようだ。とすると、いくらなんでも(現時点での)AIを買いかぶり過ぎ
だと考えます。

と先に反論めいたことを書いてしまいましたが、そのことを除けば先の記事の主張は非常に
大事です。というのも、宮崎さんの発言を受けてドワンゴをバッシングしている人達は、一体
何に怒っているのかと明確にする必要があると思うんです。私の見る限り、その辺が明確に
なっている人といない人がいるのではと感じます。(まあだいたい、明確な人ほど議論も
冷静ですよね)機械が表現することに対するアレルギーなのか、差別的と感じる表現への
嫌悪感なのか、それとも単にドワンゴが嫌いなだけなのか。

そもそも今回いきり立っている人達は、宮崎駿という錦の御旗を得て勢いづいているような
印象すら受けます。虎の威を借る狐みたいな。(それは言い過ぎか) 私は宮崎駿さんは尊敬に
値する表現者だと思いますが、表現者としては非常に極端な部類に入る人ですよ。少なくとも
表現者の正義を代表すべき人ではない。ですので宮崎さんの発言を聞いて「相変わらずだなあ」
と感心したというわけです。傾聴すべき意見ですが、極論の類ですよ。宮崎さんてスマホも
否定する人ですよ。そんな宮崎さんの意見に、スマホを駆使して乗っかるなんて滑稽ですよ。

先ず私達がすべきなのは、宮崎さんの言うことを租借しつつ、自分の感じることを掘り下げて
このような表現についてどうすべきなのかを熟考することでしょう。でないと、現実は想像を
超えてどんどん先へ行ってしまいます。鈴木さんの「どこへ辿り着きたいのですか」という
問いは技術者にだけでなく、私達にも突き付けられているのだと思います。何故なら、技術の
進歩というのは究極的には私達の望む方向性へ進むものなのだから。

ですので、今回のような問題は、おそらくこれからホットなテーマになってくると考えます。
今、表現の自由の連載では「わいせつ表現と表現規制」について扱っていますが、それが一段落
ついたら、次にこのテーマをやるべきかなあと思いました。ですので、私の中で議論を温めて
おこうと思います。皆さんも、すぐに結論を出さずにじっくりと考えてみて下さい。
posted by なんくい at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月14日

音楽の研究って難しい・・・

今日は毒を吐きます。

先ず読んで頂きたいのはこの記事。

【マジか!?】たった8分でストレスが65%も軽減すると噂される曲がコレだ! 専門家「眠くなって危険なので運転中に聴いちゃダメ」

ほうほう。聴くだけで65%もストレスが軽減されるって魔法みたいな音楽っすね。
そんなスゴイ曲ってどんな曲かというと、こんな曲です。


はいはい。このテのヒーリングだのリラクゼーションだのというときに登場してくる
音楽の典型みたいな音ですな。こんなの、これまでに何回も出てきたよな。

研究している人と制作した人は別とのことですが、こんなん絶対結託してるよ。でないと
こんな無名な音楽、知りようもないもん。出来るなら、ゴマンとあるこのテの音楽を全部
俎上に載せて(研究ではエンヤとかで比較したみたいだけど)完全比較してほしかったよww

心拍数が減ったとか脳の状態を測った(CTとかしたんかな?)とか言ってるけども、
ストレスが減る人もいれば減らない人だっているでしょう。少なくとも私のストレスは、
1%も減りませんでしたよ。(むしろムカついてストレスが増えたとかwww)

なんて怒りモードで始まっていますけども、別にこういう研究を全否定しているわけではない
んですよ。ただ、非常に扱いが難しいものだと言いたいわけ。そのために、少し深い話を
しようかなあと思います。

これも最近読んだ話(出典を探したけどどこかへ行ってしまったorz)だけども、どういう
過ちがあるかを知るには最適な例なのでよく読んでください。クラシックが嫌いな人と、
ヘビーメタルが嫌いな人に、それぞれ8時間ずつ無理やり聴かせたんだそうです。まあ
聴かず嫌いってのもありますしね。そこで対照的な結果が出たというのです、クラシックを
8時間も聴いた人は、いつの間にかクラシックにハマってしまって、その後も好んで聴く
ようになったとか。一方でヘビーメタルを聴いた人は、単調な音楽を8時間も聴かされて
苦痛でしかなかった、のだとか。まあこういう、実権とも言えない代物ですけども、問題は
色んなレベルでありますよね。先ず1人ずつしか調べていないということ。まあでもこれは、
サンプルがいくつあっても足りるってものではありません。確かにその被検者の体調とか
これまでの(隠れた)音楽遍歴とか、色んなものが影響しそうですしね。でも、そういう
ことを抜きとして、もう一つの問題は、ジャンルの設定です。クラシックという場合、
その対照ジャンルはポピュラー・ミュージック一般でしょう。その中の1ジャンルである
ロックの、それまた一部であるヘビーメタルと比較しても、曲のバリエーションに差がある
のは当然のこと。ヘビーメタルと比較したいのなら、相手も「古典期の弦楽四重奏」くらいに
狭めないと、比較対象としてフェアではありません。

ことほど左様に、音楽について実験をするという場合、音楽への理解が浅いとしか取れない
代物がほとんどなんですよ。植物に聴かせる音楽がモーツアルトとヘビーメタルとか。
(メタルバンドがモーツアルトをカバーしたらどうなるの? あるいはヘビメタの名曲を
オーケストラでカバーしたものとか)こういう実験の話を聞くたびに、音楽をバカにされた
ような気になるんですよ。

先ほどのストレスの研究で言えば、ストレスってそもそも定量的なものなの?ていう疑問から
入らないといけません。「ストレスがたまる」とか「大きなストレス」なんて言葉があります
けども、それはあくまで例えであって、実際に心の動きの中でストレスがどういうものなのか
について、きちんとしたモデルがないと定量化することに意味はないと思うんですよ。

私の予感では、おそらくストレスだけを見ていても意味はないだろうと。喜びとか他の感情
との絡みで考えていかないといけないもので、そう考えると単純に「ストレスが〜%軽減」
なんて言えなくなると考えます。その意味で言っても、件の研究はいい加減だということが
言えましょう。(おまけに、それで推してくる音楽があれだもんな・・・)

その上で。音楽にはストレスを軽減する役割が大きいと思います。これを読んでいる皆さんも、
音楽でストレスがなくなったなんて経験をたくさんされていることでしょう。しかしそれも、
時と場合によるもので、同じ音楽を聴いていてもそういう作用がある時とない場合がある。
音楽との出会いが一期一会である所以でしょう。

でもそういう一期一会な側面を抜きにして、音楽が起こす作用というものを研究することには
大きな意義があるとは私は考えます。願わくば、そういう研究をする方に、もっと音楽への
リスペクトと(私の言葉で言うと音楽という大いなる存在への敬虔さ)音楽への大きな理解を
深めて頂きたい。そうすることで、そういった研究にもっと意義が出てくるのだと信じます。
posted by なんくい at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする