2017年06月21日

祝30周年!エレカシの極私的30曲(24)ジョニーの彷徨

久々のエレカシです。今日はアルバム「昇れる太陽」からお送りします。

前作「STARTING OVER」は非常にポップなテイストのアルバムでした。バラエティに
富んだ曲調ながら、エレカシ表通りという印象。それに対して「昇れる太陽」は
いきなりヘビーな「Sky is blue」で始まるように裏通りなエレカシも聴ける。
かと思えば、シングル曲はポップだったり前回紹介したビッグバラード「絆」も
あったりと、表も裏も網羅している。つまり、全方位的なアルバムなんです。

これまでのエレカシはアルバムごとに明確なカラーがあるというのが特徴でした。
それは、その時々の宮本さんのモードに依るところが大きいのですが、そういう
アルバムごとのテイストの違いを楽しむというのがエレカシファンの嗜みでした。
ところが、エレカシのトータルな姿を1枚のアルバムに閉じ込めた、という意味では
この「昇れる太陽」は初のアルバムと言えるのではないでしょうか。いや、ディスコ
グラフィー的に見ても、この「昇れる太陽」と次作「悪魔のささやき〜そして、心に
火を灯す旅〜」くらいでしょうね。確かに、私自身エレカシを知らない人にプレゼンする
場合、この2枚のアルバムをおススメするでしょう。

「悪魔のささやき〜」についてはまた述べるとして、「昇れる太陽」は多様なエレカシが
堪能できつつも、決して散漫な印象を与えない。アルバムとしての流れがいいんですよね。
特に、後半のヘビーな曲が続く流れが、ヘビーながらも色んな表情を見せてくれ、それが
10曲目の「to you」で霧が晴れたような風景に着地する辺りは見事。(でも絶妙に重さが
残っている感じもサイコーなんですよ)

その中でも異彩を放っているのが、今回紹介する「ジョニーの彷徨」これはアルバム「Good
Morning」の別の形での進化形といっていい名作。以前に「good morning」でやりたかった
ことをバンドで実現したのが「DEAD OR ALIVE」や「俺の道」辺りのアルバムだと書きました
けども、それがポストロック的なテイストを突き詰めたら「ジョニーの彷徨」になると
言えましょうか。

とにかくブレイクビーツ的な打ち込みのドラムサウンドが耳を奪う。Bメロでの変拍子的な
リズムトリック(3〜5拍という分け方をしてるんだよね)も非常にハマっている。おまけに
間奏のギターも加工されていたりボーカルにエフェクトがかかっていたり。そういうこと、
これまであんましやっていないから、非常に新鮮でしたね。

この曲に限らず、全体的に言えるのは、非常に制御されたプロっぽさを感じます。これまでの
エレカシは全身でその時々のモードになり切っていた。それに対して、トータルなエレカシを
見せようという意志の元、一つ一つの表現が選び取られているという印象を受けました。
もちろん一つ一つの表現も非常に強度はあるのですが、アルバム全体を聴いた時に残る重い
手ごたえ。それが最大の聴きどころだと私は思います。

次回は2回分、次作「悪魔のささやき〜」からお送りします。
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2017年06月20日

正しさだけじゃ何も動かない!

今日は著作権についての記事を書きます。最近は音楽教室の問題で何度か書きましたが、
その後で、反動的というかJASRAC擁護側のサイトの存在を知りました。
それに反論したい、というのがこの記事の趣旨なのですが、少々気持ちが重いです。

というのも、その反論の趣旨が、タイトルに書いた「正しさ」への疑義なのですが、
これは下手するとブーメラン的に時分に跳ね返ってくる事態になりかねない。自分だって
「正しさ」を盾に相手を批判することありますから。それに、ここで言いたいのはただ
対立だけしていてもイカンだろう、という趣旨のことなので、この人と対立したいわけ
ではない
んですよ。ましてや、批判をして留飲を上げたいわけではない。

でも、音楽を愛し音楽の未来を憂える気持ちは共有してくれるだろうと信じて、こちらの意を
汲んでほしいという願いを込めて、出来る限り分かりやすく書くつもりです。でも容赦は
しないので、非常に厳しい批判を書くことになります。おそらく、この方にとってはこれまで
食らったことのない批判でしょうね。私のようなスタンスの人は希少ですから。

ぐだぐだ言っていないで、件のサイトを紹介しましょう。mixiのページだそうです。
JASRACは僕らの町役場

いかがですか。非常に戦闘的なサイトですよね。「インターネット上での日本音楽著作権協会
=JASRACにまつわる逸話は99%が嘘」って、書いてるコチラもドキッとしますね。

でも、この99%ってきちんと統計取ったのか? そうでなければこの言説自体も「嘘」じゃ
ねえの? と、こういう断定的な物言いにカチンと来る性質の私は、そういう屁理屈を言いたく
なります。でもまあ、そういう細部に目くじらを立てるよりも、このサイトの主張に耳を傾ける
べきでしょう。

このサイトを書いている方は学校関係の方(先生?)だそうで、教え子を犯罪者にしないために
著作権に関する正しい情報を集めることから、こういう発信を始められたようです。

私自身も法治国家を尊重するという立場から、現状の著作権法は守るべきだと考えます。
ただ、それと(現状の)著作権法を無批判に受容するというのとは異なる、とも考えます。

というより、著作権法自体、ちょくちょく変更されているわけで、正しいといってもあくまで
その時点での話になっちゃうと思うんですよね。その辺はどうお考えなのかな、と感じます。

また、その著作権法の変更自体、著作権者の言い分ばかりが通るのが問題なのではと考え、
論陣を張っている、というのがこのブログでの立場です。実は、似たような立場で発信して
いらっしゃるプロの方に福井健策さんなどがいらっしゃいます。
骨董通り法律事務所

件のサイトの書きっぷりは非常に戦闘的で、逆ギレといっても差し支えないほど、JASRAC批判
に対して容赦なく反論しています。トップページの記事からして「デマ、嘘を拡散するのも
犯罪です」ですからねえ。さすがに言い過ぎだろうと思いますけど。(正義感が強い故こういう
強い調子で書かれているのでしょうけどね)

例えばこの記事なんか強烈です。
CDが1枚売れたときに

実際に、このテの誤解って多い気がします。おそらく著作権料の分配ということで言えば、
JASRACが取っている手数料は大したことないだろうなあと推察されます。(ただ包括して
取っているので、合計的には膨大な金額になるでしょうが)

ただ、ここではそういった分配の実際に話が行くのでなく(実際問題、もっともお金をもらう
のがレコード会社や流通と明記してあります)レコード会社などがたくさん取ることの理由、
つまり正当性を書いているわけなんですよね。でもそれ、正しさ云々からズレてません?

ここでの議論が苦しくなるのは、実際の数字の話が出来ないから。私もいくつかは聞いたことが
ありますが、伝聞ですし昔の話だったりするので、正確に今どのくらいの分配率なのかは判然と
しません。(契約によっても異なる部分もあるでしょう)そのことに対する、業界側の言い分を
この人は書いているに過ぎないんですよ。(それはそれで、意味があるとは思いますが)

この辺については、どのくらい暴利をむさぼっていて、どのくらいが正当な取り分なのかは、
実際の契約を見てみないと何とも言えないわけですよ。私の見立てだと、どんぶり勘定的な
昔の商習慣が現在の音楽業界では残っていて、ただそれも時代に合わなくなってきているのでは
ないかなあ、というところなんですが。

その辺の細かな契約事項は、当事者以外は関係ないことですが(ただ、昨今の芸能界のブラック
な契約事項が色々ニュースになるのは、全体的にはいい傾向だと思います。エンタメ業界全体で
やっぱり色々変えていかないといけない時期なんでしょうね)いくら正しく著作権者に分配
されていると強弁しても、ある程度の透明性は確保されないと説得力は持ちえない。それは、
このブログでも散々発言している通りです。(それに、その透明性が思わぬ副産物を生むという
提言も、他方で行っています。最近、私は「JASRACとオリコンが合併」という試案を持って
いるんですよ。検討してくれないかなあ)

要はこの人、トップページに「JASRAC信託者(中略)音楽事業者からの正しい情報のみを掲載して
まいります」と書いてますが、その結果、権利を持っている人の御用聞きになってしまっている
んですよ。

当然、そういう関係者は著作権法を熟知していますから、法的には正しい情報を得られる
でしょう。ただ、この人が依拠している「正しさ」って、所詮その程度のものなんですよ。
著作権への批判があったとしても、それに対しては権利者の側からしかモノが言えない。

著作権の未来を考えるためには、当然それだけではダメで(その理由は後で書きます)著作権法
の成り立ち、そしてもっと音楽の始原から未来への展望を基にする必要がある、というのがこの
ブログの立場です。だから、テクノロジーの進化なども考察の対象になるわけです。

話をより本質論に進めます。このサイトの主は「ネットでのJASRACをめぐる言説は99%ウソ」
と断じて、正しさを盾にウソ情報を斬りまくっています。その「正しさ」の浅薄さを先ほどは
批判したのですが、それ自体はいいんですよ。本質的な問題は、そんなことをして何になるんだ
ということ
なのです。

もちろん、正しい情報は必要だし、教え子を犯罪者にしないという志は立派です。ただ、
こういう高圧的な調子でJASRAC批判に対抗しても、相手が「分かりました私が悪かったです」
と反省するとでも思っているのかね?(だとしたら相当おめでたいよ)

何故そういうことを言うのか、については私のこの記事をご覧いただきたいです。
録音技術が変えたもの#15CCCDがもたらしたもの

要は今のJASRACをめぐる言説の不幸は、相互不信になってしまっていること、なんですよ。
JASRACは分かりやすく悪玉になっていますが、応援したいミュージシャンの裏に業界の
エライさんがいる、というのは詳しくない人でもうすうす感じ始めている。

そんな状況下で「正しい情報」と称して、業界側の御用聞きみたいな意見を高圧的に展開
したって、対立をあおるだけですよ。それともこの人は、本当は音楽なんて愛していなくて、
それよりも自分の「正しさ」に酔いたいだけ
なのではないか、とすら思ってしまいます。

私は、JASRACや音楽出版社側の人が取るべきアプローチは、その対立を解消する方向での
アプローチ
だと考えます。例えば音楽出版社なら、ミュージシャンの敵ではなく同士なんだ
という方向での発信を、上手に行っていくことでしょう。(実際にそうなのですから、決して
難しいことじゃないはず。一番は、業界のエライ人が自ら発信することだと思いますね)

結局、音楽の未来のために、今こそ立場の違いを超えて、風通しの良い議論を行っていく
べき時期
なんですよ。そのために、批判はたくさんあって然るべきだし、その批判に対して
誤解なら解いていくことは有効です。要は、より開かれた議論のために情報を発信する、と
言うのなら、この方向でも全然OK
なんですよ。現状の著作権法ではこうなんですよ。そして
著作権者の立場からはこう考えるんですよ。それを、やさしくかみ砕くサイトには、断然
意味があります。(そして、学校関係者らしく、説明の手際は上手です)

ただ、前の記事にも書きましたが、JASRACを批判する側の人は、現状の著作権法に依拠して
批判しているわけでない。むしろ著作権法に批判的なんだ、ということは頭に入れておくべき

でしょう。その上で、より良い著作編法にしていくために、議論をしていくべきなのです。
著作権法を変えていくのに、現状は一部の権利者の声ばかり反映される仕組みですから。
(もっとも、それ以上に声を上げない我々ユーザーの問題も大きいのですが)

どうか、このサイトの方(や、JASRAC擁護の論陣を張る方)は、より広い視野と寛容な心で発信
を続けて頂きたいです。音楽の未来が先細りしていくことが、私の最も憂えることですから。

私の今の気持ちを一番よく表している曲を最後に貼ります。(クリエイティブ・コモンズ音源
です悪しからず)音楽を愛しているのなら、この気持ちを分かってくれるよね!
雪のために花が散るなら
posted by なんくい at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

スピッツの新曲「ヘビーメルウ」が絶妙なJポップ批評になっている

ご無沙汰しております。ちょっとパソコンの調子が悪くて、先週は更新できません
でした。今週は頑張って更新したいと思います。パソコンの調子次第ですが。

今日はスピッツについて書きます。新曲「ヘビーメロウ」聴きましたか?


タイトルはおそらく「ヘビーメタル」を意識しているのでしょうね。英語読みだと
「めたる」は「メロウ」と聞こえますし。音的にも、間奏のギターなんか少し感じます。
(それがウーリッッァー(エレピの一種)中心のサウンドに合わせるのが面白いですが)

ただこの曲、かなり面白い構造を持っている、というのが今回の記事の趣旨。軽く解説
しちゃいます。(楽理解説というほど重いものではないですが)結論としては、タイトル
に書いた通り、絶妙のJポップ批評になり得ている、というものです。

先に、昨今のJポップの構造について復習しておきましょうね。いわゆるメガ盛りのような
盛りだくさんな要素が入っているのが、ジャンルに関わらぬJポップの特徴と言えましょう。
Aメロ〜Bメロ〜サビを2回しして、そこにブリッジというDメロが入り、間奏から1回
落ちサビ(だいたいサビがゆっくりになったもの)があって、サビをリフレインして終わる。
さらにバラードなんかの場合は、最後のサビで一行返しなんかを繰り返してお腹いっぱいに
なる。こういう、情報量が多くなることで、5分を超えるボリュームになるか、あるいは
BPMを思いっきり早くして4分くらいに収めるというのが常道のようです。

ですが、このスピッツの「ヘビーメロウ」は3分半というミニ・サイズ。しかもBPMが
110近辺というゆったりしたテンポ。16ビートの溜めをしっかり聞かせる、すき間のある
つくりになっているんです。これだけでも、Jポップの対極を行っている。

しかもこれ、Aメロ〜Bメロ構造なんですね。いわゆるA〜B〜C構造でなく、洋楽の
ヴァース〜コーラスのような構成。それも、Bメロの方がサビというより、ややAメロが
メインのようにも聞こえる。というのもイントロのコード構成がAメロの前半と同じ
であったり、間奏のギターソロもAメロと同じコード進行で、要はAメロの要素が楽曲の
過半数を占めるわけです。

それでいて、問題のBメロは、聴いて頂いたら分かる通り、サビとしての強度を持ち合わせて
おり、いわゆるJポップ的なサビとして機能するように作られているんですよ。つまり、
洋楽的なつくりをしていながら、Jポップ的に聞こえる、という荒業に成功している。

それを見ていくために、楽曲の構造を一応見ておきましょうね。先ず、イントロが8小節。
これは、
  |G|Am|Bm|C|
という一→二→三→四というコード進行を2回繰り返すだけになっています。しかもここ、
ほぼコード・ストロークだけで(ギターのコードストロークがリフっぽいですが)非常に
ミニマルなつくりになっています。

そしてAメロが16小節。これは、次の
  |G|Am|Bm|C|Em|Bm|C|F・D|
というコードを2回ししているつくりになります。まあここは普通の構造ですね。

次にBメロですが、ここは2つの部分に分かれます。先ずは前半が
  |C|C|Bm|Em|
という4小節を2回し。ここがサビ的に聞こえる印象的なパートですね。それに続いて
  |Am|Am|D|D|
という4小節がくっついている。つまり、サビが12小節という変則的なつくりになっている
わけなんです。後半の4小節は、サビで盛り上がった後の締めのような、つなぎのような
機能を果たしている部分ですが、普通のサビではここで解決して終わるのですが、ここは
解決の一歩手前、つまり二→五で終わっていて、Aメロ最初の一の和音にすんなりつながる
ように出来ています。

なので、Aメロ〜Bメロの2回しは、間に間奏とか入れずにすんなり入っているわけです。
ここまで、イントロ8小節〜Aメロ16小節〜Bメロ12小節〜Aメロ16小節〜Bメロ12小節で
合計64小節。(いや、イントロのドラムブレイクを入れたら65小節だな)そしてここから
後半戦に入るわけです。

後半はギターソロの間奏から。ここはAメロと同じコード進行の8小節を1回し。ここも
短めですよね。そして続いてなんと落ちサビがあるんですよ。しかもここ、Aメロなんです。

実はBメロを落ちサビにするという手はありますが、Aメロを落ちサビというのは、間奏前に
Aメロでゆっくりした部分を作るという手か、AメロからBメロをすっ飛ばしてサビに行く
というパターンくらいです。いずれも少数派ですが、ここではその少数派の手法が採られている。
しかも、Aメロ〜Bメロという単純な構成なので、非常に自然につながっているように聞こえる
(つくりとしてはBメロを落ちサビに用いる手法に似て聞こえる)わけです。この落ちサビ、
昨今はお客さんがケチャをするパートとしてJポップに欠かせない要素になってきている
わけですが、それをきちんと入れてくる。しかもそこからサビに突入する手法も今っぽい。
ここのパート、コードを取ってみるとこうなります。
  |G|Am|Bm|C|Em|Bm|C|F|D|(2/4)|
いわゆる9小節と2拍という超変則的なつくりですね。具体的にはAメロの8小節目の
コードが変わる部分を引き延ばして、さらにドラムブレイクを2拍加えている。これって
サビへのジャンプ台という形で、Jポップでよく用いられる手法ですよね。しかも、ギター
ソロと合わせても普通のAメロ1回分というあっさりした中にこういう手法を入れているので
インパクトがあるんですね。

そしてまた絶妙なのが、最後のサビ。ここでリフレインするのがJポップの常道で、この曲も
繰り返しているのですが、それがまた変則的なんです。Bメロ前半の4小節を、ここまでは
2回ししていたのが3回し。つまり1.5倍の長さという変則形なんですね。でもそうする
ことで、後半の4小節と合わせて16小節で収まりはかえって良くなる。そういう面白い
増やし方をしているんですよ。そして後半の4小節は繰り返さずに、そのままアウトロも
なく終わる。この終わり方も、昨今のJポップのスパッと終わる手法(この辺はまあ洋楽起源
ですね、割とフュージョン系の曲から入ってきた印象)を踏襲していますが、繰り返さずに
あっさり終わるのと、最後が五のコードで解決する手前で終わってしまうことで、非常に余韻が
残るつくりになっているわけです。

後半のつくりをまとめると、ギターソロ8小節〜落ちサビ9.5小節〜サビ16小節で合計
33.5小節(でも最後が伸びて終わるので、35小節くらいと考えて良い)非常に短いことが
お分かりかと思います。

この「ヘビーメロウ」は、非常にあっさりしたミニマルなつくりながら、Jポップの要素を
巧みに入れてきている。Jポップとは異なる構成をしながらJポップを偽装するのに成功
している。というのがお分かりかと思います。それをミニマルなスタイルで成し得ているのが
見事なJポップ批評だと思うんですね。

それと、Jポップのお腹いっぱい感と対極をなす、繰り返し聴きたくなるようなあっさり感。
今のJポップって盛り込み過ぎでしょう、とさりげなく言っているような、見事なJポップ
批評だと思いますね。

この曲が「めざましテレビ」などの露出で若い人にたくさん聴かれることの効果は意外と大きい
のではないかと期待する部分もあります。そして、これを読んでいるクリエイターの方は、
是非とも手本にして頂きたいなあと念願します。
タグ:スピッツ
posted by なんくい at 15:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする