2013年06月18日

同一性保持権って?

ここまでの議論のまとめ:
音楽を作る(生み出される)という行為と、作品にまとめるという行為は
別物であり、著作権は後者にかかるものである。
このブログの著者は、この両者の違いを重視しつつ、立場としては、
前者の行為をなるべく自由に行えるようにしたい、と考えています。
http://eatnaan.seesaa.net/article/366139734.html
http://eatnaan.seesaa.net/article/366242146.html
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音楽は誰のものだ、と思うわけですよ。
よく、曲は世に出されたらもう聞き手のものだと
そんな物言いを聞くことがよくあります。

その昔、「おふくろさん騒動」というものがありました。
森進一さんが、彼の代表曲「おふくろさん」を歌うときに、
イントロで台詞をつけていたんですね。
それを、作詞者である川内康範さんが「許せない」と激怒。
森さんに「おふくろさんは歌わせない」と言ったわけです。

後で調べてみると、この騒動の背景には著作権の問題以外の
どろどろした要素があるらしくて、ですからこの問題を
著作権の問題のみで斬ったりするのは少し違うのかなあ、とも思います。
しかし、そんなことを知らない当時の私は
「何の権限があってそんなこと言えるんだ」
と川内さんに憤慨していたものでした。
「曲を作るやつって、そんなに偉いのかよ」と。
(私自身、曲を作るからかも知れませんが)

いや、確かにイントロの台詞は、私が聞いても「クサイ」と思ってしまう
代物で、好きか嫌いかで言えば、嫌いです。
その意味では私は、川内さんと感性を共有する方だと思うのですが、
でも、禁止するのは違うだろう、と思っていました。

似たような感想を抱いた事件にPE’Zの「大地讃頌」問題があります。
「大地讃頌」という曲は、中学校辺りで合唱曲として非常に人気らしく
それをインスト・ジャズ・バンド(といってもかなりロック寄り)のPE’Zが
カバーしたところ、作曲者の佐藤眞さんがストップをかけた。
何でも、この曲は彼の指定したアレンジ以外でやってはいけないのだそうな。
「何たる横暴!」と怒り心頭に達したのですが、世の中多様な価値観があり、
それを認めることが大事だというのが私の信条なので、敬して遠ざけていたんですが。

さて、これらの問題に共通するのが「同一性保持権」というのだそうです。
完成された作品について、作者の許可なく勝手に変えてはいけない、というものです。
確かに、作者の意に沿わない形でいじられたら、たまったものじゃない。
そう思うクリエイターも多いでしょう。

これは、特に小説なんかで顕著でしょう。結末が変わってしまったら、
もうその作品とは異なるのでは、と思ってしまいますよね。
ただ、小説の場合、それにインスパイアされた別の作品、
という例はたくさんあるわけです。
志賀直哉さんが、シェークスピアの「ハムレット」を基に敵役の
クローディアスの立場から描いた「クローディアスの日記」という作品とか。

音楽でも、クラシックの世界では、面白いサンプルがあります。
(是非、探して聴いてみてください!)
先ずバッハの「《平均律クラヴィーア曲集第1巻》前奏曲ハ長調(BWV846)」という曲。
そしてグノーの「アヴェ・マリア」という曲ですが、恐れ多くも、バッハ大先生の
曲を伴奏に用いているわけですね。今なら大騒動になるでしょうか。

(でも、クラッシックは著作権が切れている曲が多いせいか、マッシュアップ曲が
 数多く存在します。今度、特集しますか)

要は、同一性保持権というのは、程度問題だと思うんですね。どの程度の改変までなら
OKか。そして、その許容度に個人差があるだろうから、作者の許諾という基準に
なっているのでしょう。

それはここまでの考察で(ある程度は)承知しつつも、
特に日本で大きい「作者が絶対だ」という風潮を何とかしたいと思うんですね。
こういう権利が認められつつも、究極的には音楽は聞き手のものだと思うから。
posted by なんくい at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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