2013年08月16日

ヒット曲が「作られていた」時代

前回は著作隣接権のことを書きました。そこで、演奏や録音にも権利が
あること、それらを会社が所有するのが慣例であることを見ていきました。

そこで、どういう問題が起こるか、ということを今回書きます。
その前に、これはレコード会社(や契約する相手等々)によって変わるそうですが、
著作権そのものも、レコード会社が所有(便宜上管理するという形で、などいろいろな
論理があるようですが)することもある、ということも頭に入れて読んでください。

日本の場合、レコード会社は電機メーカーと関係があることが多いそうです。
ソニーとか東芝(EMI)が代表的ですね。あるいはメディアと関係があるケースも
あります。ポニーキャニオンがフジサンケイグループなのは有名ですね。

何が言いたいかというと、電機メーカーはテレビやラジオの有力なスポンサーです。
つまり、メディアに対する影響力が大きいということです。

ここで、あるレコード会社がある新曲の著作権や著作隣接権を全部持っているとします。
すると、その曲を売り込もうとしてかけるだけでなく、実際にその曲をかけることで
お金が入ってくるわけです。(実際は新曲が出たばかりの頃は無料、とかあるそうです)
するとどうするでしょうか。少なくとも自社スポンサーの番組ではその新曲をかけよう
とするのが自然の摂理でしょうね。(マスコミが権利を持っていたらなおさらでしょう)

ここで、テレビやラジオに対しての力が強い人が権利を持っている楽曲ほどよくかかる
という現象が生じてきます。私達が耳にしやすい曲は「権力を持ってる人の曲」なんです。

ということで、ソウルフラワーの中川さんが「流行り歌でなく流行らせ歌」と揶揄する
状況が(日本だけでないのですが)ある(いや、あったというべきでしょうか)わけです。

ここで、非常に極端な話をしましょう。これは昔読んだ本に書いてあったことです。
90年代に顕著ですが、ドラマやCMのタイアップで曲がヒットするという幸福な時代が
ありました。そこで、大ヒット間違いなしということでパーティーをするそうなんです。
「これこれこういうタイアップで、こういう人が出演し、アーチストは誰々。これで
 大ヒット間違いなし。かんぱーい!」と言って大騒ぎしているそうです。
そこで(その本を書いた人が)「肝心の曲はもう出来たのですか?」と聞くと「まだ」
だということ。これを音楽不在でヒット曲が生まれていると著者が嘆いています。
(うっすらとした記憶では佐藤雅彦さんじゃなかったかなあ)

こういう話を聞くと、今の惨状と重ね合わせて「驕る平家は久しからず」なんて
キャプションをつけたくなります。今となっては信じられませんが、こういう
時代がかつてはあったのです。

一方で、そういった権利をアーチスト側が買い取ろうという動きもあります。
だいたいにおいて、アーチストがそういった権利意識に芽生えるのは移籍の時
ですね。それも、元のレコード会社と円満でなかった場合に多いようです。
でもそこで聞く話は、前に発表した曲がライブで演奏できないとか、リテイク
を作る時に障害になるという話が意外と多いんですね。ということは、
著作隣接権だけでないわけですね、レコード会社に握られているのは。
(著作隣接権だけなら、ベストアルバムを作る時とかしか問題は出てきません)

ミュージシャンというのは音楽ばかりやってきた人がほとんどで、権利のこと
は素人同然です。そこで、最初にレコード会社と契約する際に自分たちに不利な
条件がつけられているということが多いのではないでしょうか。

もっとも、レコード会社の側から考えれば、お金をかけて原盤を制作し、
育成や宣伝にも少なからぬお金をかけてきたわけだから、それくらいの権利は
当然だ、と考えているところがあるのでしょう。

ただ、こういった音楽の権利をめぐる問題って消費者である我々不在なんですよね。
当然、お金をもらうのが権利者なのだから当然だろうと思うかも知れませんが、
逆に言えばお金を払っているのは消費者なわけですよ。こういう状況に対して
「おかしいだろう!」と言う権利はある、と考えます。

じゃあ、我々はどう関わっていくべきなのか。キーは「透明性」だと思います。
そこで、次回以降「透明性」をめぐる議論へと入っていきます。
posted by なんくい at 18:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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