2014年12月08日

著作権をめぐる問題の現在地

この著作権の記事、書こうと思いつつなかなか書けずに1週間ほど経ってしまっています。

ここのところ忙しいというのもあるのですが、どういうセンで書き進めていったら良いか
思いつかなかったんですよ。今もまだ自信ないんですが、まあ頑張って書いてみます。

先ずはこの記事をご覧下さい。
連載第53回 YouTubeの広告料でアーティストが暮らすには1億9000万回の再生数が要るらしい

1億9000万回なんてムリだよ!と思いますが、それは本文にも登場しないマクラでして、
実際はYouTubeは宣伝手段になっていない、という話。そりゃあそうでしょうね。
いつでも好きなときに聴けるんだから、わざわざ音を買おうという人は物好き、と思う
方もいらっしゃるでしょう。というより、音楽ファン以外はそう思うんじゃないかな。

ですから、音楽でどのようにマネタイズするのか、というのが音楽関係者共通の課題と
なっていますし、音楽にお金を払うことで産業を支えないとヤバイことになる、という
のはリスナーの間でも広まってきていますね。ただ、じゃあどうすればいいのか、に
ついては誰も妙案も持っていない状態で。それはこのブログでも繰り返し述べてますけど。

一方で著作権について書いてある記事の典型はこういうものだったりします。
メディア関係者が著作権について考えるときに読むべきウェブサイト・ブログ記事15選

知らず知らずのうちに著作権に違反して問題になるかも知れないから、著作権について
知識を深めようよ、という啓蒙的アプローチですね。啓蒙的なのはいいのですが、こういう
問題意識になっちゃうんですよね。皆で著作権を守りましょう、という。

実はこのまとめ記事、なかなか良心的に作ってあって、しかも著作権を変えるという視野も
含んでいる点が好感持てるのですが、それでもこういう「現状肯定的」なアプローチに
なってしまうわけですよ。こういう問題意識からは、音楽の未来のために著作権について
考える、という方向には進んでいかない。

この2つの記事が、著作権に関する「現在地」なのだなあと思います。お金が入らない
という絶望と、著作権を守ろうという啓蒙と。ただ、このどちらもが必要だとも思う
わけですよ。この両方の視野がある人すら少ないし。

でも、これだけじゃ足りない。それって何が足りないんだろうとずっと考えていた
のですが、どちらも個人主義的なんですよね。個人の欲に立脚している、というか。
もちろん、個人の欲も大事ですよ。でも、それだけだともはや音楽は救えない。
そういう状況になっているのだと考えます。

じゃあ「音楽の未来」への視座、となると、このブログの読者なら当然ファンキー末吉
さんの裁判、あるいは江川ほーじんさんの「演奏曲目入力システム」の話を思い浮かべる
ことでしょう。私はこの3つにバランスよく関わっていくのが現時点ではベストかなあ、
と思うわけですよ。

ファンキーさんや江川さんの問題は、人々の道徳心に訴えかけるところがある。もちろん人には
道徳的に行動したいという欲もあるわけですが、それだけだと広がらない。その活動に参加しない
人を不必要に責めたりしがちで。だから、個人の欲をエンジンにしつつ、問題意識を深めてもらう
というアプローチも大事になってくるわけです。

音楽で「食える」ことがどんどん困難になってきている。自分の応援しているアーチストも
「食えない」状況になりつつある。その一方で、メディア環境の変化で知らずに著作権に
違反して問題になるかも知れない。そうならないための知識を得つつ、音楽の未来を考える
方向につなげて行きたい。その為に今現在はファンキーさんの裁判や江川さんの試みに
関わってみる。

というふうに考えていたのですが、いやもっと根本から考えないといけないのではないか。
と考えるようになりまして。この話、続きます。



追記
そうだ。今日は12月8日だったんだな。ジョン・レノンについては以前
こういう記事を書いています。今日は、平和について書くべきだったかも
知れませんが、著作権について書きました。これが後々政治の話につながって
いくのですが、それはまた後日。
posted by なんくい at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 著作権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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