2015年04月09日

表現の自由で差別はなくなる!

今日も、本題に入る前に少し長めの記事紹介を。というのも、このニューモード
ついての理解が深まる良記事だと思いますので。
黒人音楽をめぐるポリティカル・コレクトネスの現在 “ステレオ・タイプな表現”をどう脱するか

ラッツ&スターとももクロが「顔の黒塗り」をしたという話題から、表現と差別の
問題を考えるというもの。ここで「黒人へのリスペクトがあるといっても、それは
ステレオタイプに基づいた一方的な愛にすぎない」と批判されると、差別の問題に
関心がない人には「何だか息苦しいなあ」と感じるかも知れません。
(正直に言います。私自身、こういった物言いに息苦しさを感じる一人です。
 だから別のアプローチがないか模索しているわけですが)

しかし、ここで重要なのはそこではなく、この記事の2ページめのこと。日韓の
ラッパーが共演した「It G Ma」を引き合いに出しておられます。この曲も米の
ラッパーOG Macoが「黒人のステレオタイプだ」と批判したんだそうですね。しかし、
それに対しても記事では「アジア人がエキゾチズムを出すと面白がるのに、自分の
土俵に乗ってくると批判する。それだってステレオタイプではないのか」と返す刀で
黒人側のステレオタイプを批判する。そして、当の首謀者Keith ApeはOG Macoに
会って誤解を解いたんだそうです! それに対して「一方的な愛でなく、ちゃんと
相互作用を生んでいる
」という素晴らしい総括をされています。

要は、ラッツやモモクロの表現が差別的かどうかが問題なのではないんですよ。
彼らの黒塗りに対して「黒人のステレオタイプではないか」という意見が来た時に
どう対応するのか。そこが肝心
なんですよ。その意見に向き合い、対話をし、
あるいは次の表現に生かしていく。それによって誤解が解ける部分もあるでしょうし、
自らの偏見が取り除かれることもあるかも知れない。そうやって表現を深めていく
過程が、その表現が差別か差別でないかという線引きよりも重要
なのです。

本題に入ります。(何だか本題に入る前に、大事なことを先に言われている気もするけど)
連載の最初に「すべての人が「本当の意味で」表現の自由を求めた時、差別なんてものは
自ずとなくなる」なんてさらっと書きました。でも、そんな甘い話あるか、と思う方も
いらっしゃるでしょうし、表現の自由ってそもそも反差別と対極の概念でしょうと
思っておいでの方も、まだいることでしょう。

しかし、私は本気で信じています。本当の意味でみんなが「自由に」表現できた時、
差別なんてものはなくなる
のだと。そして、みんなが本当の意味での自由を目指して
表現することが、差別をなくしていく有効な方法になる、と。

なぜなら、真にみんなが「自由に」(=自らのあるべき姿として)表現出来た時、それぞれの
表現は多様になるはずですし、それによって表現を受け取る側も偏見から自由になって
いくに違いないからです。(差別を「悪感情の固定化」と私は考えています)

しかし、実際は表現する側も受け取る側も自由ではない。色々な偏見で目が曇っているし、
様々な規制にがんじがらめになっている。(その諸相を、これから連載で明らかにして
いきますが)それを打開するために表現をし、あるいは表現を受け止める。そしてその
相互作用によって、偏見や差別という凝り固まったものを揺らしていく。それによって、
私達は自由に近づくことが出来るし、またそうありたいと思うのです。

さらに考えをより過激にすると「すべての表現は自由を求める。また差別をなくすために
生まれる」というテーゼを掲げることになります。ここでは原則論として言っているわけ
ですが、すべての表現が自由を求める。また差別をなくそうとする」と見なすことが
重要である
、というのがこのテーゼのキモなんですよ。

もちろん、表現の中には造り手の偏見や差別意識が色濃く反映されたものもあるでしょうし、
それゆえに偏見や差別を強める方向に(表面上)作用するものも少なくはないのも事実です。

しかしここで重要なのは「表現を絶対視しない」ということ。その表現から何を感じ、
何をどう返すのか。それによってその表現は生かされも殺されもするのだと思います。

先ほどの例でいえば、ももクロとラッツの黒塗りを見て「尊敬」という名の偏見・差別の
存在に気付くことが出来たとします。それによって私達は、より偏見から自由になれた
わけです。その意味では、偏見や差別に満ちた表現からだって、私達はそこから学び、
自らをより自由にしていくことが出来るわけですよ。

ここまで書いて、私は表題の「表現の自由で差別はなくなる」の後についていたクエスチョン
マークをビックリマークに変えました
。「表現の自由で差別はなくなる」と信じること。
そしてそうなるように行動することが、私にとって大事だと考えたからです。

次回以降、表現の自由が差別をなくしていくために、考察すべきことを進めていきます。
次回は、今再び「偏見」について書こうと思います。
posted by なんくい at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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