2017年05月12日

浦和レッズ森脇良太選手に贈りたい「差別とは何か」

今日は便乗記事です(笑)。というか、ニュースを見ていてコメントしたく
なってしまったんです。それも、Twitterでなく、きちんと残る形で。

タイトルにも書きましたが、浦和レッズの森脇良太選手が試合中の暴言で問題に
なっていました。その処分が先日発表されたということで話題になっています。

暴言騒動の森脇処分は灰色決着で良かったのか?

ここで、森脇選手が「自分は差別的意図はなかった」と一生懸命強弁していて、違和感を
感じたんですよ。いや、気持ちは分かるし、その「差別的意図」云々で処分の重さも
変わってくるでしょうから、そこが死活問題になってくるというのも分かります。ただ、
彼の振る舞いをみていると「この人、差別を分かっていないな」と感じたのも事実。

そこで、もし彼が「本当に」反省しているのなら、この機会に差別について勉強されたら
いいのではないか、という趣旨で記事を書きます。何かの間違いで森脇さん本人が読んで
くれたらそれがベストですが、そうでなくとも、この件で森脇選手を叩いている人達にも
同様の違和感を感じるので、是非読んで頂きたいです。

ちなみに、この連載をずっと読んでくれている方には、もう「あの話だな」とピンとくる
かと思います。その意味では基本の話、つまり復習記事になります。これまで書いてきた
ことを参照しつつ、この問題ではどう考えるのかを書いていきます。

本当は、この「表現の自由と差別」の連載を全部読んで頂きたい(手前みそながらいいこと
結構書いてますよ)のですが、そんなヒマのない方はここに書くことが基本のキです。
(といっても要約なので表現は難しいです。分かりにくいという方はリンクしている記事を
 参照してもらえればもう少し分かりやすくはなっているはずです)

先ず、この問題について私が一番感銘を抱いた記事を読んで頂きます。

【英国人の視点】浦和・森脇の暴言騒動、処分確定も深めるべき議論。レオ・シルバ「言葉の暴力も根絶を」

この記事、差別の問題から見ても非常にいい点を突いています。つまり「本当に」
森脇選手に差別的意図があったかどうか、というのは実はそんなに重要な論点で
ないんですよ。そこを強弁しようとする森脇選手も、ほじくり返そうとする周りも、
差別についての無知をさらけ出すことになっているのです。

では、そもそも差別とは何か、何が問題なのかという基本から考えましょう。私は以前
「差別とは社会的に固定化された悪感情だ」という定義を書きました。つまり、差別か
どうかを決めるのはあくまでその時の社会的状況であって、本人に差別的意図があるか
どうかはほぼ関係ありません。ですから、本人が意図しなくても差別的な言動をして
しまうことも十分にありえます。だからこそ、責任のある立場の人は、差別について
「勉強」する必要があるのです。

では差別がなぜいけないのか、なぜ根絶しなければならないか、について、単なる憎悪表現と
の違いに即して考察したことがあります。それは、単なる暴言ならばその個人の悪意が吐露
されただけですが、差別表現になると、そこに「社会的に固定化された悪意」が加わるから
より悪質なのだ、という趣旨のことを書きました。

また、別の観点から「その人に社会的地位があるほど、差別的表現をしてはならない」
という趣旨の記事を書いたこともあります。つまり、社会がより差別的になるような
言動は慎まないといけない、ということです。サッカー界でここのところ差別に関する
色んな問題が起きていますが、それは社会がそれだけ「ヤバい」ことの反映でもある
わけです。(その他の問題についてはコメントしませんが、私の過去記事を読んで
頂ければ、私の考えはそこで表明しております。そこに付け足すことはありません)

ただ、私は森脇選手の言動が「差別的であった」か否かは、実はそれほど大事な問題
ではない
と考えます。それによって処分の内容が変わってくるでしょうから当事者に
とっては大事なことなのでしょうが、そこはこの問題の「本質」ではないと私は考えます。
肝心なのは、感情的になりとってしまった言動の「後の」部分です。

この問題については以前に「相互行為」という観点から記事を書いたことがあります。
実はこの点こそが私がこの問題について訴えたいことです。

私は、この問題が明らかになってからの森脇選手の言動の方が、問題の根が大きいと
考えます。小笠原選手が抗議した後に、それを聞いた森脇選手は「彼の人間性を疑う」
という趣旨の発言をされたと聞きます。私はそちらの方に腹を立てましたし、今もって
そのことに対する反省がないことの方が問題が大きいと思います。

森脇選手は差別についての指摘を受けた後に、自分を守ろうとするあまり、告発した
小笠原選手をディスるという言動に出てしまいました。私の記事に書いたKeith Ape
が当事者に会って誤解を解こうとしたのと反対の行動をしているわけですよ。
彼のした言動は、差別についての対話を閉ざす行為ですよ。誰が「人間性を疑われる」
と言われた人と対話しようと思いますか?

ただ、この連載に書いた相互行為の観点から言えば、今からでも遅くないと言えます。
彼が今回の件をきっかけに差別について学ぶ姿勢を見せることで、彼の言動への
「誤解」を解くことになると言いたいです。レオ・シルバ選手は「処分が出てから
謝ってももう遅い」と言ったと伝えられていますが(これは前後が切り取られている
気がするので、ちょっとコメントしづらいです)差別についての言動に、遅いことは
ないのだと私は主張します。

そして最後に。今になってまだ「処分が軽い」だの「森脇選手は本当は差別的意図が
あったのだろう」とか言っている人は、気持ちは分かりますが本来の趣旨とはズレて
しまっています。スポーツマンシップとは、一度裁定が出たらそこに不満があっても
そこに従うことが潔いとされています。それに、より大事なのはサッカー界全体として
差別的言動をなくすことですから、いたずらに憎悪を助長することは、より差別の芽を
撒くことにつながります。今回の件から、差別についてより学ぶ風潮が生まれることで
再発を防ぐことが出来ますし、同様の問題が生じた時により良い対応も出来ることでしょう。
そこにささやかながらも貢献したいと願って、この記事を書きました。
ラベル:差別
posted by なんくい at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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