2013年05月06日

音楽が好きなんです

ブログ初日には、ごあいさつと各カテゴリーの紹介をしているのですが、
最後の「音楽とは」カテゴリーは「その他」というのに近い内容になります。

私、本当に音楽が大好きでして、
聴くのも好きだし、音楽についてあれこれ考えるのも好きなんです。
そういうものを出していく場にもしていきたい。

音楽を聴くというのも、ただいい音楽が好き、というだけでなく、
音楽が好き過ぎて「珍品」と言われる作品にも心惹かれてしまうんです。
(笑ってしまうような音楽ですね)
聴き方にしても、いろいろな聴き方をしてしまう。
それがまた楽しいんです。

さらには「音楽ってなんだろう」とテツガク的に考えてみたり。
そんな考えなども、気ままに開陳していければと思います。

まとめると、音楽の紹介やその解説、
あるいは音楽に関する考察をやっていきます。
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2013年05月11日

映画「シュガーマン」に見る「ロドリゲス」の魅力

前の記事が重かったので、
少し肩肘張らない話題を。

先日「シュガーマン」という映画を見に行きました。
これは「ロドリゲス」という数奇な運命をたどったミュージシャンの
ドキュメンタリーで、今年のアカデミー賞を受賞したそうです。
(筋はあえて明かしません。びっくりするような話です)

私はその筋をあらかた知ってしまった状態で見に行ったのですが、
見た印象は「ドキュメンタリーというより、半分くらいは
ロドリゲスさんの曲のPVだな」というものでした。

もちろん物語の主軸はロドリゲスさんの数奇な運命なんですが、
思っていた以上に楽曲に光が当てられている。
デトロイトの街が描かれたという楽曲と、そのイメージ映像に
かなりの時間が割かれているんです。

といっても完全なPVではもちろんなく、途中でナレーションとか
入っちゃいますけども、そもそも映像自体がないとか予算とか
いろいろな制約がある中での措置なのかもしれませんが
個人的にはロドリゲスさんの楽曲の魅力が浮かび上がるような
つくりになっているように思えました。数奇な運命さえ
楽曲を味わうスパイスになっているくらい。
(それは極端すぎるか)
もちろんクライマックスは感動しましたけどね。
(当然ネタばれはしませんが、分かっていても問題なく感動できる!
音楽の素晴らしさと音楽がつなぐ人の思いが結実する名シーンだと思います)

そのロドリゲスさんの音楽性ですが、
いわゆる70年代のシンガーソングライターものに分類されるのだと思います。
その時代の多くのシンガーソングライターがそうであったように
「eclectic」(折衷的)と評される音楽性。彼の場合はフォークやブルース
そしてサイケデリックロックが 主成分で、歌詞に重きが置かれるスタイル。

その中ではサイケデリック色が彼の個性を際立たせていると言えるのですが
アレンジャー目線で見て、そのサイケデリアの秘密が伺える箇所を何箇所か紹介します。

先ず「I Wonder」という曲。


この曲で特徴的なのは、何といってもイントロのベースのリフでしょう。
(そこに、ちょっとしたリズムトリックもしかけてありますが)
このリフ、曲中のベースのフレーズで、次のコードに進む時のつなぎとして
使われている音形なんですね。それをカットアップしてイントロで使っている。
その繰り返しが非常に効果的なんですね。

次に「Crucify Your Mind」という曲


この曲で印象的なのはマリンバのフレーズでしょうか。
これはもともと、ギターのカッティングのフレーズなんですね。
それがブラスで強調され、さらにマリンバでも再現される。
同じフレーズの繰り返しが非常に効果を生んでいます。

というふうに、アレンジャー目線で見て、面白い仕掛けがそこかしこに見られるんです。
それが、彼の歌世界に不思議な奥行きを与えているように思います。

ロドリゲスさんの音は、この映画のサントラが主要曲を網羅していて便利です。
(そもそもがオリジナルアルバムも2枚しか出てないんですけどね)
シュガーマン 奇跡に愛された男 オリジナル・サウンドトラック / サントラ, ロドリゲス (CD - 2013)
ラベル:70年代 Rodoriguez
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2013年05月19日

歌ネタ王決定戦2013

歌ネタ王決定戦2013を見ました。

大会全体のことや個々のネタについては
お笑い好きの方がいろいろ語るでしょうから、
ここでは音楽の面から感想を語ることにします。

先ず特筆すべきは嘉門達夫さんの参加!
いやあ、私の中学時代の「師匠」の一人ですよ。
嘉門さんのラジオでゆがんだ音楽観を相当叩き込まれました。
(もちろんいい意味で。他にもゆがめた人はいますが)
こんなところに出るメリットのない大御所ですが、
出てくれたことに感謝したいです。
やったネタ自体は替え歌にショートコントソングといった
定番ネタで、正直勝ちに来ている感じではなかった
(どちらかというと顔見世的?)のですが。

嘉門さんの替え歌は、一つ一つはそんなに爆発力はないのですが、
畳み掛けることで笑いが起きる。その辺の処理が非常に音楽的なんですね。
その片鱗は見えたのではないでしょうか。全部替え歌で行っても良かったと思いますが。

一番笑わせてもらったのは、決勝でのななめ45°のネタ。
「お前たちの音楽、聞かせてくれよ」と言ってしまったばかりの悲劇。
相手の音楽が理解不能だった時のリアクションって困りますよね。
(コントでやった音楽自体、あまりに奇怪でしたけども)
それって音楽をめぐる笑いの「盲点」だったと思いました。
こういうところを突いてくる辺り、彼らの音楽に対する洞察の深さを感じます。
ななめ45°は1stステージのネタ(上司の説教が韻を踏んでいるというもの)
も音楽に対する理解度の高さが伺えました。
ありがちなヒップホップネタでしたけどもね。
これからも音楽ネタを続けて欲しいです。

アイロンヘッドの「野球の応援歌がバラード調だったら」というのも
音楽での異化作用を狙ったもので、ちゃんと音楽で笑わせていて好感を持ちました。
今回は、特にコントをするグループが意外と音楽寄りのネタをやっていて
そこは音楽好きとしてはうれしかったです。
歌を使っただけのただのコントになる可能性も十分にありえたので。

個人的に応援していたマキタスポーツは、アクシデントがあったり、
ネタのチョイスが客層に合っていなかったりと
(3分という尺を生かすには、大ネタ1本の方が良かったと思う)
今日は彼の日じゃありませんでしたね。
もともとマニアックすぎるので、どう大衆受けさせるかは
彼の積年のテーマなのだと思いますが。

おそらく多くの人が語っているであろう、初見参の矢野号。
メトロノームというミニマムな音素材を使って、
トランス感を出す笑いは、ほとんどの人が初見だったこともあり、
インパクト大だったと思います。
彼の課題は、メトロノームのテンポがおそくなるところ。
速くするのと違い、遅くすることで笑いを生むのは非常に難しい
とは思いますが、そこをもう一工夫すれば
彼の芸はもう一段階上がるのだと思いました。
(非常に上から目線で失礼ですが)

優勝したすち子&真也は、吉本新喜劇で(関西の人には)おなじみですね。
やっぱり突っ込みの人かいると安定感があるなあと思いましたね。
笑いのポイントを説明してくれますからね。
(すち子さんの突っ込みはそこのところ非常に丁寧でした)
ネタ自体はオチが見え見えの定番でしたが、その中でもビジュアル系の特徴を取り入れたり
いろいろ工夫しているところが聞きどころありました。
分かりやすくて、意外と奥が深い。最大公約数的に彼らの優勝は納得です。
(個人的にはななめ45°でしたけど)

今回、音楽をめぐる笑いの切り口の多さを楽しめましたけども、
まだまだ開発されていない切り口はたくさんあるはずだと思います。
回を重ねるたびに、新たな切り口がどう見えてくるか、楽しみにしたいです。
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2013年05月26日

Negiccoの魅力

このブログでは一つのアーチストだけを紹介する記事は
あまり書かないでおこう、と思っていたのですが
(好きなアーチストはた〜くさんいるので)
その禁を破って、今回は一組紹介したいと思います。

最近、一番推しているアーチストは?と言えば
新潟のNegiccoというアイドルを挙げます。

宇多丸さんをはじめ、私の好きな人たちが
「最近のアイドルの音楽は凄い」とさんざん言っていまして。
それで私もちゃんと聞いてみようとしたことが何回かあったんです。
でも、はまらなかった。

そんな状態でしたから、Negiccoのことも名前は知っていました。
なんでも、CDを手売りしてたとか、その入手困難な音を
Tower Recordがアイドル専門レーベルを作って全国発売するとか。
Tower Recordは、モーニング娘。の頃からアイドルを推しているのは
知っていて、それを冷ややかな目で見ていたクチとしては
「ふーん」くらいの話でした。

それでも、そのベストアルバムが出るということで
Towerというフリーペーパーに彼女たちが出ているのを見て
ちょっと気になっていたり。
今思えば、徐々に外堀は埋まっていたのかも知れません。

そんな私がNegiccoにドはまりしてしまったのは、意外なきっかけでした。
ニュートリノが光よりも速いという実験結果が間違いだった、
とかいうニュースを風のうわさに聞いて、それをYahooで調べてたんです。

そこで「ニュートリノ・ラブ」という曲がヒットしてきたんですね。
「面白そう」ということで聞いた、ところからは記憶はあやふやで、
気づいたときにはYouTubeでNegiccoの動画を見まくっていました。
「こりゃやばい」ということで、Tower Recordに発売されて
1週間ほど経っていた件のベスト盤を買ってきました。・・・・・・

Negiccoの魅力。それは何といってもconnieさんが手がける楽曲群でしょう。
何しろ何度アイドルにはまろうとしてもはまれなかった私を
一発でKOしてしまったのですから。
とにかく、どの曲も素晴らしい!!!

その魅力は「connieさんの人間性が表れているのだ」
と言い切って終わりにしたい衝動にかられますが、
ここは音楽について分析的に考えるブログなので、
もう少し音楽的なことを書きます。

connieさんはメロディーやコード進行、リズムなどを総合させて
ポップな空気を作り出すのが抜群にお上手。
資質としてはELOのジェフ・リンに近いものを感じます。

後、音楽的には異なりますが、ニック・ロウにも相通ずるものを感じます。
ニック・ロウは音楽的教養が抜群に深いのですが、
それをさりげなく織り込んで、軽い音楽に昇華する才が際立っているんです。
connieさんも、Jポップの良質なエッセンスのみでなく、歌謡曲にまで通じる
教養の深さを感じさせつつも、軽く聞ける感じなのが魅力です。
代表的なものをここに挙げておきます。




最近の音の方が、機材がよくなっているせいか、音がHiFiになってきてます。
でも、昔の曲もLoFiながらも実に味わい深いです。

そして、彼女たちの苦難に満ちたストーリーにも泣かされます。
これは、吉田豪さんのインタビュー記事に付け足すことは何もないでしょう。
http://tower.jp/article/interview/2012/02/22/b236-negicco

そこでも感じることですが、特筆すべきはファンの方たちでしょう。
Negiccoには日本一にファンがついている!と言いたいです。

彼女たちを応援したいという気持ちからか、
ファンがYouTubeにたくさんの動画がアップしています。
それを事務所側も容認(公認?)しているところも素晴らしい。
著作権とビジネスの問題もここでいろいろ考えていますが、
「多くの人に知って欲しい」という気持ちでファンと事務所が一体となっている
というのが、あるべき姿ではと思ってしまいます。
「アイドル界のグレイトフル・デッドだ」と勝手に思っていますが。
グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ [単行本] / デイヴィッド・ミーアマン・スコット...

そんな彼女たち、今週に新曲が出るんです。これが歌詞の面から見ても
非常に問題作でして、これについては稿を改めます。
ラベル:Negicco
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2013年05月28日

アイドルが歌うメタ・アイドル・ソング

明日発売するNegiccoの新曲「アイドルばかり聴かないで」は
アイドル史のみならず、日本歌謡史においても異色の問題作です。

タイトルにある「メタ・アイドル・ソング」とは、
アイドルが自分自身に言及するというスタイルの曲を指します。
代表的なところでは、小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」があります。
(有名なので、聴いたことはあるでしょう)

能書きは後にして、先ずは曲を聴いてもらいましょう。


公的に歌詞を紹介できるページが(まだ)ないのが「ざんねーん!」ですが、
そんなに問題ないかも知れません。
一度聴いてもらえれば、何を歌っているかだいたい分かるだろうから。

この曲の内容を強引に要約してしまえば
「アイドルはヴァーチャルな存在だ」ということだと思います。
そこに現在のアイドルをめぐる状況が歌い込まれていますけども。
お金をいくらつぎ込んでもアイドルと付き合えない、とか
身も蓋もない歌詞がてんこもりで、ちょっと衝撃的かも。

ただこの曲、曲単体としてはそれほど衝撃的でもないと思うんです。
ここで歌われている内容って、某アイドルへの批判で
さんざん言われていることですし。
歌の設定も「アイドルファンのボーイフレンドを持つ女の子」
という形で、それ自体は自然なものです。
もしロック畑みたいなアーチストがこういう内容を歌ったら
ただのアイドルdisソングになってしまう。

それをアイドル自身が歌っている、という事実が
この曲をメタ構造にしている
わけで、そこが
いろいろと深読みできる仕組みになっている。
そこが面白いんですよ。
最後に心憎い自己言及オチも用意されてますし。

私自身の深読みは、アイドル側がこういう曲を歌うということは、
アイドルもそのファンも、そういうことは分かっている、
という了解を示しているのではないか、というもの。
それを分かった上で、アイドルというバーチャルなゲームを楽しんでいる。
だからこそ、楽しそうに「ざんねーん!」とコールできるのでしょう。

Negiccoの新曲が出ると、いつも「売れて欲しい!」と強く思うんですが、
今回はそれほどは思わない。(もちろん、売れて欲しいですけど)
それよりも、一人でも多くに人に聴いてほしい。耳に届いて欲しい!
きっと何かを感じてくれるはずだから。

総選挙とかいって騒いでる人たちも、それを外野で揶揄している人たちも、
3分ちょっとの時間をこの曲に割いてほしいと思います。
これを聴いて怒るのか、アイドルへの攻撃を鋭くするのか。
いろいろな誤解を生むかも知れませんが、それを含めて楽しめる。
そんなパワーを持つ曲だと思います。
小西さん。さすがですね。
(紹介するのが遅れましたが、この曲を作ったのがあのピチカート・ファイブの
 小西康陽さんなんです。それ自身大ニュースなんですが、楽曲のインパクトに
 うすれてしまった。。。)

とは言え、是非買ってください、ということで。
http://tower.jp/item/3238144/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AB%E3%81%B0%E3%81%8B%E3%82%8A%E8%81%B4%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7-%5BCD%EF%BC%8BDVD%5D%EF%BC%9C%E5%88%9D%E5%9B%9E%E9%99%90%E5%AE%9A%E7%9B%A4%EF%BC%9E
ラベル:Negicco 歌詞
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2013年06月19日

「音楽」といううねりの中で

前回の著作権の記事が中途半端な終わり方をしてしまったので、
http://eatnaan.seesaa.net/article/366689486.html
それに対して言いたいことを書きます。

本来は「著作権」のカテゴリのところで書くべきなんでしょうが、
より本質的な「音楽とは」という話かなと思うので、
「音楽とは」カテゴリーで書きます。

音楽を作り出す人というのは、みな音楽が好きなはずです。
夢中になった音楽があり、それらの影響を受けてきたはずです。
好きなアーチスト・ジャンルというせまい話ではなく、
いわば「音楽」という大きなうねりから恩恵を受けてきたのだと思うのです。

そんな「音楽好き」にとって、音楽を作り出すという行為は
その「音楽」という大きなうねりにささやかなお返しをすることなのでは?
音楽がより豊かになるための貢献を、少しずつ持ち寄っているのだと思うのです。

その人の作った「作品」にまた、誰かが触れて心が動き、
それはその人が音楽という大きなうねりに触れる手伝いをしている。
そしてその触れてくれた聞き手がまた新たな音楽を生み出し・・・
という形で音楽という大きなうねりは広がっていく。
そんな流れの一つになることを、その人も願っているのではないでしょうか。

そう考えると、曲を生み出すという行為に対して、もう少し謙虚になれるはず。
もちろん、優れた音楽を生み出した人は賞賛されるべきだし、
それに値する褒賞を与えられるべきかも知れません。
しかし、本質は今書いた「音楽」という大きなうねりの中での一つの曲にすぎない。
そこに立ち返って考えるべきだと思うのです。

音楽を愛する私たちにとって何よりも大切なのは、
「音楽」がより豊かになっていくこと。
そして、より多くの人がより深く「音楽」という大きなうねりに飛び込めること。
著作権などは、その手助けをするべき制度の一つに過ぎないはずです。

しかし。今まで書いてきたことがきれいごとに過ぎないと言われてしまう現実がある。
(きれいごとではない。本質だ。と私は強く信じていますが)
それは、「お金」に絡んだ話です。苦手な話ですが、逃げずに論じていきたい。
次回以降の「著作権」のカテゴリーで、お金に関する話を書いていきます。
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2013年06月24日

Jポップって何?(その1)

SoundCloudを使っていて、ジャンルとかタグ付けがあって
困ってしまったわけです。

ジャンルとしては一応「Pop」としておいたのですが
(今後非ポップ曲もアップしたいとは思っていますが)
タグをどう付ければいいのでしょうか。
「Tropical Feeling」には「summer」
「日だまり」には「ballad」とだけ付けましたけども。

そこで浮かび上がってくるのは「Jポップ」という概念。
もともとは90年代に輸入レコード店(HMVかタワー)が
CDを陳列するために便宜的に作った分類概念なんですね。

実は80年代以前には「歌謡曲」という概念があって、それとの違いは?
という問題が一つあるわけです。Jポップというのはやっている人が
好むと好まざるに関わらず、日本人が(日本で)音楽をやっていれば
Jポップと分類されたわけです。(チボ・マットは確か「洋楽」だった)

一方で歌謡曲は、一つには演歌との対立概念としてあって、一方で
ニューミュージックとかロックとか、そこからはみ出るとされる音楽も
(それを歌謡曲と見る向きもあったかも知れませんが)あったわけです。

実は、私がやりたいなあと考えているのはこの歌謡曲〜Jポップのラインなんです。
この両者に共通するのが「洋楽の影響」なんですね。

Jポップ全盛の時代は、ビーイングや小室系に代表される主流のものも、
渋谷系に代表されるオルタナティヴなものも、洋楽の同時代的影響を
強く受けたものでした。渋谷系なんてそもそも輸入レコード店から始まってますしね。

そもそも日本文化というもの(大きく出ましたね)、文学でも絵画でも
外国の影響を色濃く受けるときに不思議と輝くという特性を持っている
と私は考えています。歴史的には、内向きに日本らしさを追及する時期と
外国の影響を受ける時期とが交互に来るわけで、伝統として有名なものは
内向きのものだったりするわけですが。(平安時代と江戸時代ですね。
この時代の特性については、また考察してみますが)

ただ、私や洋楽も好きですが、それでない日本の音楽の魅力というのもある。
これは歌謡曲に顕著なんですが、洋楽の影響を受けつつ、
どうしても日本らしさが染み出てしまう。
その外国文化を受容する仕方に日本オリジナルが出てくると思うのです。

今日は総論にとどめておきます。しばらくの間、今回の議論の線で
Jポップについて考察していきます。
ラベル:日本
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2013年06月27日

Jポップって何?(その2)

Jポップとは?という考察を前回の記事から始めているんですが、
「歌謡曲」についてもゆくゆくは考えていきますが
今しばらくは「Jポップ」にこだわっていきますね。

Jポップとこれまでの「歌謡曲」との違いの一つは
「洋楽との同時代性」だと思うのです。
圧倒的にJポップ世代の方が洋楽とのシンクロ率が高い。

もちろん歌謡曲の時代もアメリカで流行した曲をすぐカバーしたり
といった同時代性はあったのですが、いかんせん音楽的教養の
問題で、洋楽とは似ても似つかないものになっていた。
(それが味だという考えもありますし、現状の歌謡曲の魅力は断然そこです)
その音楽的蓄積の面で追いついてきた、というのは大きいと思います。

実はJポップで主流とされた人たちって、80年代では先鋭的な
存在だったわけなんですよね。小室さん然り、サザンにしても
ユーミンにしても。もちろん売れてはいましたが、主流では
なかった。そういう存在が主流になり、大御所になっていったのが
Jポップの時代だということも出来るでしょう。

この世代の人たちって、欧米のポップスに追いつこうと、それは
涙ぐましい努力をしたと聞きます。矢沢永吉さんなんて単身でアメリカに
乗り込んだりして。一方で山下達郎さんのように、自分のやりたい音楽を
受け入れられる土壌を作ろうと、懸命に啓蒙活動をしたりとか。
そうやって切り開いてきた道を、Jポップ世代が歩める利点はあった。

また、このくらいの世代になると、外国と日本との距離が圧倒的に近くなった
というのもあるでしょう。コーネリアスが世界のトップミュージシャンと
交流があったり。カジヒデキさんもスウェーデンのトーレ・ヨハンソン一派と
蜜月関係があったりとかしますし。

前に渋谷系とは渋谷の輸入レコード店周辺の動きを呼んだものだと書きました。
その頃の日本(渋谷はその代表)は世界一レコードやCDが集まる街だと
来日するミュージシャンの羨望の的だったという話も聞きます。

そこでよく言われたのは、雑食性あるいは折衷性というのが日本の特徴だと。
ロックもレゲエもボサノヴァも、並列的に聴くのが日本人だと。
それは、そういった音楽が生じる文脈と切り離されているからだと思うのです。

例えば、ブルーノートという旋法は、多分にアメリカの黒人音楽
の文脈を持つ響きなわけですね。それを白人がマネすると、
そこにまた特別な意味が生じるものなんです。
ところが日本人はブラックミュージックも、
白人のやるブルー・アイド・ソウルも並列に聴く。

さらに当時の渋谷の潮流というのは音楽の歴史とも切り離して
「今」の耳で心地よいものを楽しむというものでした。
今現在のアーカイブ時代の先取りだったわけですね。

確か、田中宗一郎さん(タナソウ)がこういうことを言っていました。
「ミスターチルドレンの巧みなコード使いは、それを参照する
 日本の音楽的文脈を持たないものである」
(記憶に頼っているので、正確でないですが)
タナソウさんはそれを否定的な意味で書いていたのですが
私はそれこそが日本の音楽の特性なのではないか、
とむしろ肯定的に考えたりします。
その中でもこういうものが好まれる、という傾向性は
出てくるでしょうしね。

今回もとりとめのない考察になってしまいました。まとめると、
・Jポップの特性は洋楽との同時代性、あるいは洋楽の情報量の多さである。
・それゆえにJポップはあらゆるジャンルの音楽を、文脈を切り離して受容した。
という2点に集約されます。

ここから考察を進めるために、次回は具体的なアーチスト、
「クール・ジャパン」の代名詞となっているらしいアーチストを
取り上げて考察をします。
ラベル:日本
posted by なんくい at 00:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月29日

きゃりーぱみゅぱみゅを生んだ文脈

Jポップについて考える第3弾、今回は1つのアーチストを
考察してみます。それはきゃりーぱみゅぱみゅ。
クール・ジャパンの代名詞として安倍首相が取り上げるくらい
(しかし再登板した安倍首相、ファンサービスの勘所が分かったみたい
 ですね。もともと滑舌がよくないのに噛みながら連呼してくれたり)
海外でも大人気ですね。

私は「つけまつける」「CANDY CANDY」といったシングルが出て
気になり始めた頃TVできゃりーの特集をしていて、
そこで大阪の男性ファンがきゃりーの魅力を聴かれて
「オリジナリティーです」
と答えていたのを聞いて非常にお腹におちたのを覚えています。

つまり、ファンは「これまでにない音楽」としてきゃりーを見ている
ということなんですよね。それでいて「既成概念から自由になろう」
というきゃりーのメッセージも踏まえたコメントでもある。
こういう理解度の高いファンに支えられているのは幸福な状況ですね。

きゃりーぱみゅぱみゅの「新しさ」それはキャラクターの新しさだと思います。
ダブステップとかドラムンベースとか、新しいジャンルの音楽ではない。
基本エレクトロ風味のポップスに琴の音やらマーチング風味やらあれこれ
詰め込まれている(ニューアルバムでは和太鼓まで登場する)
むしろレゲエとかハードロックとかなんでも取り入れてもいいんです。
それをきゃりーが取り入れるときゃりーの音楽になる。

しかし、きゃりーのオリジナリティーを認めた上で、それを生んだ
文脈を考察しないとJポップの考察には生かせません。
きゃりーの音楽は突然変異的に生み出されたものではありません。
そこへ至るJポップの豊富な鉱脈があるわけです。

よく言われているのは「原宿」というキーワード。ここは渋谷系と
アキバ系(秋葉原)の出会うところだとある人が言っていました。
きゃりーぱみゅぱみゅのキャラクターってアニメっぽいですよね。
音楽を手がける中田ヤスタカさんはピチカート・フォロワーから
独自のエレポップを確立した人で、渋谷の色が強い人です。
近年、声優さんが渋谷系のアーチストを取り上げる傾向が出てますが
(今年出た花澤香菜と竹達彩奈の新譜はどちらも非常に良かった)
そことも響きあうところがあると思います。

次に、きゃりーのキーワードとして、国際語となった「Kawaii」。
80年代から「カワイイ」という言葉は広い意味を持ちうる可能性があったのですが
少女民俗学―世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」 (光文社文庫) [文庫] / 大塚 英志 (著...
きゃりーの「Kawaii」にはヘンなものとかグロいものすら入ってくる。
そういうものを「Kawaii」(私の言葉ではポップ)と見立てる、
そういう「見立て」の面白さがある。

そろそろ結論に行きます。みゃりーぱみゅぱみゅの音楽は非常にオリジナルでありながら
日本のサブカルチャー全般が培ってきた文脈を非常に反省させた最新形のJポップである。
あらゆるものを容れうる「きゃりーぱみゅぱみゅ」という王国に何が入ってくるかは
きゃりーやスタッフの「目利き」による、というところが非常に大きい。
この「見立て」とか「視点」あるいは「アレンジ」というところが日本の強みである。
というなんだかありきたりな結論になってしまいました。
(という意味では最新型の「日本」なんですよね)

なんだか一人東京ポッド許可局みたいになってますが
http://www.tbsradio.jp/tokyopod/
こんな調子でもう少しJポップについて考察を続けます。

私なんかとは関係なく売れまくってますが、記事にさせてもらったお礼に。
なんだこれくしょん(通常盤) / きゃりーぱみゅぱみゅ (CD - 2013)
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2013年07月04日

Jポップの「ガラパゴス化」について

「Jポップとは何か」という考察をこういう辺境のブログでしてますが、
今現在、そのことでちょっとした論争が起きているみたいなんですね。

浮世絵化するJ-POPとボーカロイド 〜でんぱ組.inc、じん(自然の敵P)、sasakure.UK、トーマから見る「音楽の手数」論

ライターの柴那典さんは、そロッキング・オンで「シバナテン」とか言われていた時から
知っていました。確か、自分でバンドもやってたんですよね。
そのせいか、割とクリエイター目線を感じさせる評論を書くという印象があります。

それに対して反論とかいろいろ起きているらしいんです。
で、私もその論争に参加しようとか、そんな大それた話じゃないんです。
(それには、今の私はまだ力不足です。。。)
その辺の議論に触発されて、「Jポップのガラパゴス化」について考えてみよう
というのがこの記事の趣旨です。

先ず、私の疑念としては「本当にガラパゴス化しているのだろうか」
というのがあります。Jポップの独自性はあるだろうけども。
「ガラパゴス化」という言葉は、日本のケータイ文化に象徴される
「日本の市場ばかり考えて海外展開できないもの」を指すんですよね。

それに対して日本のミュージシャンは日本人ばかり相手にしていて、
海外展開できないのか? いや、そうじゃなくて、
背景にあるのは「洋楽が聴かれなくなった」という事実だと思うんですよ。

確かに、私自身以前よりも洋楽を聴かなくなった、とくに新しいアーチスト
を探すということが本当に少なくなりました。ただそれは、英米の音楽のことで
最近は東南アジアの音楽が面白いということで、いろいろYouTubeを探したりしてます。
(アフリカも好きで、今すごいことになってるらしいけど、情報がない)

確かに洋楽の市場が小さくなっているのは由々しき問題だと思いますが
それを言ったら今現在、日本の音楽市場自体が減少傾向にあるわけでしょう。
それにKポップは今でも人気だし、多様化しているというのはあるかと思います。

それと、もう一つ言われているのは「洋楽コンプレックスの解消」。
確かに、以前洋楽を聴く動機の多くは「日本にはない進んだ音楽」を聴きたい
というのはあったと思う。それが、Jポップがそれなりに進化を遂げると
わざわざ洋楽を聴きたいと思わなくなってきますよね。

ちょっと話がそれたな。洋楽を聴こうという話はまた別でします。
以前は「洋楽に追いつけ追い越せ」という意識が強かったと思うんです。
けど、今はない。あるとしてもかなり希薄になったのではないか。
かといって影響を受けていない、ということはないと思います。
今も世界で起きている同時代的な潮流というのは日本にもあるでしょう。

その一方で、これは90年代からだけども、海外のアーチストが日本のアーチストに
影響を受けたり、という話が出てくる。私の記憶では少年ナイフ、コーネリアス
辺りからなんですけども。それは洋楽コンプレックス解消の決定打となった。

とりあえずの結論。Jポップはガラパゴス化というほど孤立はしていないが
独自性を海外に認められるような進化をとげている。というところでしょうか。

それと、Jポップが独自の進化を遂げるという現象が是か否かというのもあります。
私は断然「是」なんですけども、「否」と言いたくなる人の気持ちも分かるんです。
今のグローバル化の時代に、日本の中だけで自給自足していていいのだろうか。
そんな文化の鎖国のようなことをしていて、大丈夫だろうか。
外国の文化を理解できない、排他的な国民を作り出すだけではないか。・・・・・

それに対して、先ず事実関係として少し違うよ、というのが前半部分でした。
それに、ある程度なら文化的鎖国でもいいのではないか、と思う部分もあります。

このブログの記事をいくつか読んでくれている人なら、私が文化の多様性を
何よりも大事にしていることは読み取れるだろうと思います。
現在、地球上にある多様な文化というのは、ある程度国境があり、断絶があってこそ
なされた、という側面はあります。それがグローバル化でどんどん「秘境」が
失われてきている。これだけ境目がなくなってくると、文化が均一化していく
のではないか。そう考えると、文化の国境に橋を渡すという行為が
全面的に良いこととは言えないのでは、とされ考えられるのです。
あえて橋を渡さない。断絶を認める。ということも大事なのでは?という主張です。
(これは私の主張ではなく、こういった議論が社会科学近辺でなされている)

そう考えると、現在Jポップが独自のものになっている、という現象は
むしろ頼もしく思える事態なんですね、私にとって。
だから、Jポップの「ガラパゴス化」は断然「是」なんです。

ただ、それが独善というか、排他的になるのは少し違うのかな、と思います。
以前の記事で書きましたが、Jポップの強みって雑食性とか折衷性なわけで、
それは海外の様々な音楽を柔軟に取り入れたことで成り立ってきたわけですよ。
それが「Jポップ最高!」と言って他を聴かなくなったら、その栄養源が
絶たれるではないでしょうか。

どうやらこの記事の結論が「洋楽を聴こう」という話になってしまいそうです。
Jポップが独自の進化を遂げていることはいいことだけども、
その背景には多様な音楽を節操なく取り入れてきたことがあるわけで、
ですから私たちもいろんな洋楽を聴いて耳を柔軟にしておきたいものです。

というわけで、「日本の音楽」考察と並行して「洋楽紹介」もやります。
(なんだかいろんなことを並行しすぎてわけ分かんなくなってきている)
ラベル:日本 音楽と社会
posted by なんくい at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする