2018年06月30日

秒で終わる夏

今一番語りたい子達は、間違いなくリリスクなんですが、アルバムの検証記事は
そのうちに書くとして、今日は取り急ぎ「秒で書く」記事をドロップします。
そのスピード感が大事というネタでありますので。

リリスクのアルバムは新生リリスクの1年間の集大成と言える素晴らしい出来
なんですが、そのアルバムにじっくり浸らせて・・・と思ってたところにいきなり
新曲がドロップ! その名も「秒で終わる夏」!!!!!



これはMVはなく音源だけ。1週間限定でダウンロードできます。YouTubeの概要ページから
飛べます。お早めに!

「秒で終わる夏」というタイトルに相応しく(?)レコーディングも「秒で」行ったという
今の勢いをそのままパッケージしようという試みのようです。

いやはや、実に色んな要素が詰め込まれていますね。細かなネタは皆さんで少しずつ解き明かし
たりして楽しんでいただければ(個人的にはダチーチの連呼が面白かった!)いいのですが
総じていえば、アルバムはクールなところがあるのが深みを与えている(High 5のコーラスで
トップギアに行かないところが象徴的)のに対し、これは割とイケイケというかマックスに
楽しさを打ち出している曲と言えるでしょう。

今のリリスクの勢いそのままに、2018年夏をサイコーのものにしようという気概と共に、
今のサイコーなリリスクをパッケージ化したいという視点も感じてしまいます。(それは
アルバムの「Hey!Adamski!」にやられてしまったおじさんのうがった見方か?)

秒で終わってしまう夏に、今のリリスクを見逃す手はない。そう思わせてくれる新曲です。
ラベル:lyrical school
posted by なんくい at 10:13| Comment(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

洋邦楽理解説・温故知新#6 The Move「Chinatown」

今月はザ・ムーヴですよ。

ジェフ・リン好きな私としては、当然のようにザ・ムーヴはLO経由で知りました。
というか、ELOの前身バンドみたいなもんですからね。ただ、ELOも音楽性が
変遷を遂げた(ただELOの歴史はポップ・バンドの宿命を体現しているようでもある)
のと同様、ザ・ムーヴも音楽性に飛躍があります。折り目正しいビートロックもあれば
非常に実験的な曲もあり・・・という。

ザ・ムーヴというのはロイ・ウッドという鬼才が生み出したロック・バンドでして
メンバーチェンジも激しく、その周りのメンバーによって音楽性も変わっていった
印象もあります。特に影響が大きかったのが、途中加入のジェフ・リンでしょうね。
ジェフも曲書けるし。ただ、後の音楽性を俯瞰して見るに、ロイとジェフはお互い
響き合うものがあったんでしょうね。クラシックの素養ということでしたらロイの方が
むしろあるでしょうし、ジェフの加入でビートルズ色が・・・なんて言いますけども
当時のイギリスのバンドでビートルズの影響を受けていない人はいないでしょうしね。
もちろんジェフは筋金入りのビートルズおたくですけど。

そんな鬼才ロイ・ウッドの生み出したザ・ムーヴから、今回は最後期のシングルを
取り上げました。「Chinatown」という、最後から2番目のシングルです。この曲を
取り上げたのは、個人的に好きなのと、楽理的に解説しやすいというのもあります。
ザ・ムーヴの楽曲の中には、この人達の頭の中はどうなっているのだろうと訝しく
なる曲もあり(時代なんでしょうかね。こういうことやる人もっと出てきてほしい)
そういう曲も食指が動かされるのですが、今回は入門編ということでポップスとして
成立しつつ楽理的に面白い曲を選びました。興味を持った方は是非色々辿って下さいね。


では早速始めましょう。いきなり銅鑼の音から始まり(中国のステレオタイプ?)フロアタム
辺りのドラムロールから、いきなり歌メロが始まります。これ、いきなり途中から始まって
いる印象を受けますが、それはこういう奇異なイントロと和音の所為でもあります。
 |E♭|E♭maj7|Gm|Gm|E♭|E♭maj7|C7add9|C7add9|

これ、四の和音から始まっているんですね。それが途中感を生んでいる原因なんでしょうが、
四で始まること自体はまあありがちなんですよ。ただ、四からだと五とか三に行くのが
ありがちな手ですが、そこから六に行っちゃうんですね。これはいわゆる逆行でして、
経過和音的にはよく使われるのですが、ここでは六に行くのがある種の帰結(マイナー展開)
なんです。それもあって、かなり宙ぶらりんな印象をいきなり与えるわけです。

そして7〜8小節目は二のメジャーコード。いわゆる副五とおいうやつで、この後に五に
行こうとする力が働くのですが、ここから五に行かないんです。それがBメロ(ブリッジ)
なんですが、和音的にこうなっています。
 |Gm|Gm|E♭・B♭inD|C7add6|C7add6|
 |Gm|Gm|
ここ、全体的に7小節といういびつな構成。しかも2小節〜3小節〜2小節みたいなつくり
なんですね。Bメロ自体が前半と後半に分かれていて、前半〜後半〜前半といっていきなり
コーラス(サビ)に行くというつくり。ここがこの曲のミソとなる部分だと私は考えます。

先ず、Aメロ(ヴァース)でC7という副五で終わっておきながら、五(ここではF)に
行かずに六というマイナー展開に行くんですね。この辺りでそろそろ定番になってきてる
んです。この曲では五に行かず六に行くぞと。それを踏まえて、E♭から経過和音を経て
またC7へ行く。それを1小節引き延ばして強調し、(ここで奇数小節になって奇異な
印象も強調される)その予想を踏まえてまたGmに戻る。という堂々巡りを繰り返すと
思いきや、2回目の繰り返しは途中でスパッと切ってコーラスへ行くわけです。

そして、C7の和音の途中から不自然に強調されるAの音。この後はCにとって6度の音で
セブンスの音とぶつかっている(長7度ですから)のですが、これはコーラスへの伏線だと
考えます。その種明かしは、コーラスの和音を明かしてからにしましょう。

 |B♭|G7|Cmin7|Cmin7|C7|C7|F7|F7|
 |B♭|G7|Cmin7|Cmin7|E♭maj7|A♭maj7|B♭|B♭|


ここでいきなり一の和音から始まるわけです。その前の六とは関連性がない(もちろん似た和音
なのですが、六→一は逆行ですから)唐突なコード進行です。その唐突性はもちろん狙っての
ことですが。しかし、ここまで堂々巡りをしていることで、妙な安心感があります。また、その
前のC7のところでAの音を強調していましたが、そのAはB♭の導音なんですよ。それが、
少し引き延ばされて解決している、というのもここでの安定感に一役買っていると思われます。

そしてG7→Cmという定番のコード進行。副五からちゃんとD進行してくれるわけです。
ここが、これまでのGm⇔C7と対照的なのも印象的です。つまり、ここのコーラスは理の
通じる世界だということを聞き手に印象づけるのです。なので、CmからC7に行った時も
(かなり引っ張りますけど)ちゃんとFに行ってくれるわけです。実はここのFの和音、
この曲が始まってずっとこの和音に行きそうで行かないという堂々巡りをしてきていたので、
やっとここへ帰結するという意味で、爆発力のある箇所なんですよ。それを分かってか、
ここでドラムブレイクを入れています。(ただ、そのブレイクの箇所でメロディがFの9度の
位置にいるのがニクいというか分かっているなと感じますね)

ただ、この曲で(というか1コーラスで)五の和音に行くのはこの1か所のみで、2回目には
四→♭七→一という、変終止の亜種のような終わり方をします。裏道を通って終わる感じ?

まとめると、堂々巡りでじらされる感じで始まり、それがコーラスで唐突に解消されて、と
思ったらすっと終わる。という感じの曲調になっているのです。

それが2コーラス目でそっくり繰り返されて、ギターソロの間奏に行くのですが、ここはこう
なっています。
 |Gm|Gm|Adim|D7|Gm|Gm|Cdim|A♭7|A♭7|
 |Gm|Gm|

これまたいびつな構成ですね。コーラスが4小節単位で動くので、間奏もそれを踏襲して
いるのですが、途中で引き延ばされ、省略されというBメロと同じことをやっていること
になります。

ここで印象的なのは減和音(ディミニッシュコード)ですね。しかもCdim=E♭dim=F#dim=Adim
という性質と、半音下がった属7コードと等価に扱われるという性質を見事に利用した、非常に
理論的な使い方をしております。なので、D7とA♭7という、真裏にあるコードが現れても
不自然でないわけですね。D7は当然Gminorの五の和音ですが、A♭はナポリの二の位置に
なります。そこから、五に行かずに一に戻っているわけですね。ポップスの世界では割とある。

そのA♭のコードを2小節に引き延ばしているのですが、厳密には2小節目の4拍目にGmの
コードが食っていて、それがインパクトになっています。その最後のGmのコードは2回目の
繰り返しというよりも締めのようなニュアンスになっています。ギターソロも終わってますし。

そこから3度ヴァースに行き、また1コーラス分省略も引き延ばしもなく展開されますが、
奇妙なのはアウトロの部分です。こうなっています。
 |Fmin7|B♭|E♭add7,9,13|E♭add7,9,13|

なんと、最後にE♭majorに転調しているかのような終わり方なんですね。Fmというのが五の
マイナーという和音なのですが、これ自体初めて登場する和音で、そこから一→四と行くの
ですが、これはE♭majorの二→五→一と解釈した方が自然な和音です。

では何故、アウトロで唐突に転調するのでしょうか。ここで思い出していただきたいのは、
この曲自体E♭の和音で始まっているわけです。そこではB♭majorの四の和音としてですが。
つまり、最初の和音の調に最後帰結したということ。唐突なようで首尾一貫している。でも、
奇妙な後味を残すアウトロであります。複雑な後味というのは、何もサッカーの世界だけでは
ないんです。(と時事ネタをぶっこむw)


いかがだったでしょうか。かなり変てこりんな曲だということが分かって頂けたのではない
でしょうか。でも、非常に理に適ったヘンテコさであることも解き明かせたと思います。
来月は邦楽。しかも有名曲いきます。ゆずの「夏色」これはサブスクには入っていないみたい
ですが、どこでも聴けますよね。
ラベル:楽理解説 THE MOVE
posted by なんくい at 09:40| Comment(0) | 音楽理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

は? 違うだろう!

前の記事を書いたのが6月の10日。もっと言えば件の曲が公開されたのが
6月の6日。それからたった数日でこんなにも事態が動くとは!と驚きを
禁じ得ません。これもネット時代ゆえ、ですかね。

RADWIMPS野田洋次郎、軍国歌と批判浴びた「HINOMARU」の歌詞巡って謝罪

この謝罪という事態に釈然としない人も多いのではないでしょうか。批判される
ような歌を作ったからといって、特定の誰かを傷つけたわけでもないし、単に
思想的にヤバい歌ってだけでしょ。何で謝る必要があるのかな、という。なので
謝る対象だっておかしいもんね。「傷ついた人」って誰? サヨク? 東アジア
の人達?(戦争の被害者だってこんなんで傷ついたりはしないでしょ。侵略戦争を
肯定しているわけではないですしね)

この謝罪という行為についての勝手な推測は後で書くとして、これを受けて擁護側
が沸き立っているというのが現在の事態。「謝る必要がない」というのはその通り
ですが、「言論の自由」を侵害しているって、完全に読み違いだろ!というのが
この記事の趣旨なんですが、擁護している人達がどこまでずれているかの典型を
先ずはお見せしますね。




こんなレベルの低い意見にも賛同の声が続々、で批判する声がごく少数。(相手にして
ないだけかもですが)先ず「日本が好きというと軍歌」という短絡的な読みからして
おかしいですし(この歌の問題性が分かっていない。日本が好きって歌はゴマンとあるよ)
ただ批判しただけで表現の撤回とかを求めたわけではない(例外がいるので後で書きます)
のに「表現の自由を侵害」って、やってもないことで批判してるんですよこの人達!

ただ、今回の歌を批判するあまりにライブ会場で抗議行動をしようという明らかに常軌を
逸した行為に出る人達もいたんですけどね。批判にしたってレベルの低いものも多かった
ですし。ただ、擁護(というか批判した人を批判)する議論の中で私がおっと思わされる
ものは今回は皆無なんですよ。(あったら教えてください!)

前回の記事は「表現する人はもっと勉強しないと」という趣旨でしたが、今回は「批判
したり擁護したりする人も、もっと勉強しないと」という趣旨になりますね。そこで、
繰り返しになる部分は私の過去記事で勉強してもらうことにしましょう。こう見えても、
こういう問題についてはそれなりに勉強してきましたから。

抗議の自由とルール
抗議する側と受ける側を調整するファシリテイターが必要だという論を立てていますが、
そのことの是非はともかく(今は少し違う意見になっているかな)奏法に置いて何を
目的とするのかを明確化する必要がある、という主張を読み取って頂きたいです。

表現することのリスクとリターン
表現するということは、それによって傷つける人がいるというリスクを負うのだという
原則論について述べています。あれ、最後に引き合いに出しているのが、現在掘り出されて
物議を醸している「五月の蠅」だぞ。(この曲に関しては擁護したいです)

抗議する理性と感情
被差別の人への表現支援という思わぬ形での結論になっていますが(これ自体は大事なこと
なんですけどね)抗議する側の理性と感情を分けて考えるべき、という意見は読み取って
頂きたいところです。

「表現の自由」の概念を更新する
表現の自由について、最近は相互行為論という新たな捉え方をしています。好き勝手に表現
することが「表現の自由」ではない、というと驚かれる方もいるかも知れませんが、表現に
ついて突き詰めて考えるとこうなるのです。

過去記事の紹介はこれくらいにしておきます。色々書いていますので是非読んでください。
さて、ここからは野田氏の「謝罪」の意味と、この曲を踏まえたかどうか知らないけど
アンサーに聞こえる表現をいくつか取り上げます。

先ず、ラッド側としては野田氏の今回の謝罪だけが公的に行った行為で、別に作品を回収したり
曲が放送禁止になったりしたわけではないんです。なので、表現の自由が侵害された云々という
のは、これに関してはないです。一方で批判する自由もあり、それに対して表現する側もどう
反応するかも自由です。実際、最初の方では野田氏もツイッターで「想像以上に想像通りな」と
喜んでいましたからね。(そこで「特定の思想はない」という発言をしていて、その発言を
めぐって私は色々議論しておりました)

それが一転して謝罪。というよりも実際は弁明に近い感じですよね。「右翼的な思想を持って
こういう曲を作ったわけでない」「でも軍国主義的という批判に対しては納得する部分もある」
ということ。それで、謝罪をしているということですね。これは、謝罪の仕方がおかしいという
先ほど書いたことを除いては、納得できる反応と言えるかも知れません。(まあ野田氏の過去の
言動を見ていて、おそらくそうだろうなあということは、想像出来ましたが)

ただ、少し前にはツイッターで「想像以上に想像通りな」と言っていたわけですから、そこから
どうしてこういう謝罪に追い込まれたのか。それは、思っていた以上に反響が大きかった。
ライブ会場への抗議行動なんて事態になり、ファンの人と小競り合いになるのを避けたかった。
などの理由も考えられますが(こんな謝罪で抗議行動が止むわけないのにね。余計分断が増す
だけじゃん!)私の勝手な推測ではスポンサーの意向もあったのではと考えます。
カップリングとは言え、もとの曲がテレビ局のタイアップですからね。こういう騒ぎになり
「さすがにマズイ」となったのではないでしょうか。

ただ、謝罪は彼らの本意ではない(あくまで私の推測ですが)としても、ここに書かれて
いることは彼の本音であろうと考えます。ここで気になるのは、どのレベルの批判を読んで
こういう反省に至ったのかということ。出来れば野田氏やラッドのファンの方にも、私の批判
を読んで欲しいなあと思います。真剣に書いたので。

最後に、この表現を踏まえていくつか出てきた表現、あるいは勝手にアンサーでないかと
思ってしまった表現をいくつか紹介しておきます。先ずはダースレイダーさん。完全に
「RADWIMPS」というタイトルでもしかすると便乗かも、というラップを発表しています。

https://soundcloud.com/rei-wada/radwimps
つまり「日本が好き」というのは色んな文化が混ざり合う地としてなんだよな、という、
テイストとしては前回紹介したリリスクに近いものを感じます。HIP HOPの人だしね。

今度は一転してロックサイドから。別にアンサーではないけど。藤田恵名さんの新曲が
「これこそRADWIMPSがやるべきだったことじゃねーの」という痛快なチューンを
鳴らしています。



未検閲バージョンというもっと過激なMVもあるのですが、趣旨を伝えるのにはこれで
充分なので。途中日の丸のペインティングをしている人が出てきていますよね。非常に
日本の「今」を切り取った曲だと思いますね。

もう1曲あったんだけど、忘れちゃった。思い出したら追記に載せます。

原則論すぎて恥ずかしいくらい(でも、こういう時こそ原則論は大事!)ですが、表現者は
表現で返すべき。今回の件を踏まえて、RADWIMPSがどういう表現を生み出すのか、そこに
注目していきたいです。
posted by なんくい at 12:41| Comment(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする