2018年06月10日

和をテーマにした曲で必要なこと

一昨日の夜から思わぬバズが2件起こり、その2件に共通していることが「和」のテイスト。
ということで、強引にその2件をつなげる記事を書きます。

先ずはRADWIMPS。彼らは以前に何度か取り上げたことがあります。概ね好意的に取り上げて
いました。これなんかは短いですが、RADだけで記事にしてますもんね。

そんなRADWIMPSがサッカーW杯のテーマソングを担当することになって、そのカップリング曲
が話題になっています。その名も「HINOMARU」! 早くも何だか匂ってきますよね。
そうです。いわゆる「右寄り」ソングとしてバズっているわけです。

こういう歌については、椎名林檎ゆずも擁護記事を書きました。基本的なスタンスはそれと
変わらないのですが、今回はちょっと批判的なことを書くんですわ。ガッカリしたことも
多々あるんで。

何のことか分からない人もいると思うんで(後々から記事を読む人もいるでしょうし)
ニュース記事を貼っておきますね。

RADWIMPSの新曲の歌詞が「軍歌っぽい」と物議 「日出づる国の御名の下に」「気高きこの御国の御霊」

RADWIMPS HINOMARU 歌詞

私の基本的なスタンスとしては、先の記事と同じくこういうアプローチ自体は歓迎したいと
いうものです。それで批判も自由にやったらいいと。こういう歌自体もっと増えていいと
さえ思います。(ただ、今回調べると結構あるんですね。特に震災の後ぐらいに)

ただ、このRADWIMPSの曲については私は批判的な意見を持っています。いくらなんでも
これは、頭悪すぎだろう。もっと勉強してほしい、というのが正直な気持ちです。

別に軍国主義的な表現がどうとかではないんです。むしろ、そういう表現を使うのなら
もっと勉強してほしい
なあということ。文法的な間違いにしても(せめて古文文法くらい
勉強してほしいけど)確信犯で破調があるのならいいけど、あまりにレベルの低い間違いが
多すぎるし、読む人が読めば「不敬だろう」と怒るような表現もある。(御霊ってそんな
安っぽいものなの?)

これがアマチュアの人ならともかく、トップセールスを誇る日本の代表的なロックバンド
なんだから、そのクオリティーについては責任があると思うんですよ。自分に不慣れな
語法を用いるのなら、せめて専門家の監修を受けるとか手があると思うけどなあ。軍国
主義的な表現を用いるのなら、辻田真佐憲先生に教えを乞う、みたいな。

ただ、歌詞だけを云々するのはフェアでない(別に論文とか詩を発表したわけでないからね)
と、実際に曲を聴いてみました。(公式にはないので貼れないですが)

実は結構期待していたんですよ、曲に関しては。野田洋次郎さんは帰国子女で、そういう
距離感のある人が和の表現をどう取り入れるのか。これだけ歌詞で思い切ったことして、
ただのJポップとかないでしょうから。(逆にそれでも面白かったかも)実際、いきなり
太鼓の音(実際はバスドラ?)がフューチャーされて、かなり思い切った和のテイストが
取り入れられていました。ヨナ抜き音階を取り入れつつ転調する楽曲にしても、結構いい
セン行ってるかなあ、と思っていたんです。






後半のところに来るまでは。





曲の後半で「おーおー」とシンガロングになる箇所があるのですが、ハッキリ言ってそこで
ドン引きですわ。和のテイストの中でも、私の一番苦手な要素が凝縮されている。みんなで
一つになりましょうという体で、あまりに粗雑に全員をまとめようとする。日本の悪しき
全体主義的な、あの感じ。しかしサッカーの応援か何かでも「みんなで歌いましょう」と
なる時に、どうして「おー」なんでしょうね。

偏見であることを承知で書きますが、こういうテイストはいじめっ子の感性なんですよ。
彼らの思い上がった感性で全員が一つになったとカンチガイしている。そこに、
いじめられっ子や陰キャの子の気持ちは排除されている。まあ彼らは表に出さないけどね。
彼らが愛国心をテーマにした途端、彼らの思想性(あえてそういう言い方をします)の
醜悪な部分が露呈してしまった、と感じました。歌詞なんて、それがほんの少し露出したに
過ぎないよ。でも音楽は、嘘つけないね。RADWIMPS、好きな曲もあるんだけどなあ。


気を取り直して。もう1件のバズを取り上げましょう。lyrical schoolは新生になってから
プラチナ期」と勝手に称して盛り上がっております。記事も2本書いていますね。
(昔からキライだったわけではない。でも今思えば冷淡でしたね)

リリスクについては、その少し前にライブ動画が公開された「High 5」もすごく良くて!

サビでトップギアにいかないところがメチャクール!!!!!


アルバムへの期待値が俄然高まる中での、レコーディング・テイクでのMV公開。しかも
スチャダラパー&かせきさいだぁの楽曲という、公開前から話題になっていた曲です。


期待のど真ん中を、期待以上にガツンと来たって感じです。そりゃスチャダラ&かせきって
間違いないに決まっていると皆さん思っているでしょうが。そのハードルが上がっている状態で
期待をガッチリ引き受けるのはなかなかに難しい。ちょっとスカしたくなるもんね。それが
一切ない、プロフェッショナルな仕事っぷりに、とことん感服いたします。

とフツーに褒めるのはこのくらいにしておいて、今回の記事の文脈で言えば、和をテーマにした
曲を作るには、それなりに教養が必要だよということ。それは音楽的な意味でも思想的・文学的
な教養も必要となってくるわけですよ。これまでの日本の夏ソングの蓄積や、言論的な蓄積を
どれだけ踏まえているか。その上でどういう新味を出していくか。

例えばこの曲では夏の風物詩がたくさん現れてきますが、その趣と反して危うさ(スチャは
「うさぎ」を献本されているしね)までも感じさせるところが、教養の産物なんですよね。
浴衣を着ている女の子はカワイイという気持ちと、そもそも和服の中で何故浴衣だけ今日
着られているのかという疑念とが両方ある感じ。

ああ、この曲についていくらでも書けちゃうけど、これだけ素晴らしい曲が揃っていると
アルバム全曲紹介案件でしょうから、そこに取っておくことも必要かな。和のテイストと
いうのは色んなアーチストが色んなトライアルをしてそれなりに蓄積があるので、愛国ソング
を作る際に参考になる面がたくさんあると思いますよ。というのを締めに致します。続きを読む
posted by なんくい at 18:41| Comment(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月03日

歌い手の楽曲理解度について

今日は「歌が上手い」というのとは別の歌手の価値について書こうと思います。
もちろん歌が上手いに越したことはないんですが、別にDIVAみたいでなくても
いいと思うんですね。

もちろん、色んなタイプの楽曲があり、その楽曲に向いた声があるという話も
あります。ただ、今回書こうと思うのは、楽曲へのアプローチという切り口で
書きます。どういうこと?と思うかも知れませんが、ここでグダグダ言うより
実例を挙げていく方がいいでしょう。

今回挙げていく実例は2つ。先ずはつりビット。彼女達の楽曲については1度
書いたことがありますが、最近けっこう難しい楽曲が増えてきていまして。
それは、彼女達の歌い手としての成長にも裏打ちされているというのが見立てです。

といっても、いわゆる歌が上手いというのとは違うんですよね。わりと素直に歌う
子達ですし。でも、例えば最近の楽曲ではメロディがバックの和音に対して面白い
当て方をしているのですが、その「面白み」をどうも彼女達が理解していると思しき
歌い方をしているんですよ。

例えば、最近シングルの「僕らの旅はつづくのさ」を聴いて頂きましょう。


この曲はメンバーのソロ・パートが比較的多いので、私の言いたいことが分かりやすく
示せるのでありがたいです。先ず、Aメロの最後のところでメロディがE♭になるところ
があります。(「言葉は溢れ出す」の「あ」のところ)ここはバックの和音がGなので
いわゆるオーギュメントの位置にあたるんですよ。(より厳密にはー13度の位置)
そのE♭の旨みを、歌い手が理解しているのかというのは結構重要だと思うんです。

ところが、そのパートを歌っている安藤咲桜さんは、そこにさりげなく当てに行っている
ような歌い方をしています。ここ、あからさまでないのがいいですね。安藤さんの上品さ
が伺える気がします。

ここで、鋭い方は気が付くかも知れません。ここ、2コーラス目もあるよね、と。そうです。
2コーラス目のここのパートを歌っているのは聞間彩さん。幾分アルト(低音)な、憂い成分
多めの声で歌われるここのフレーズ、安藤さんと少し違う歌い方をしています。これは、
いわゆるブルーノートの歌い方ですよね。Eの音がちょっとフラット気味に入っているという。
少しシャクっているいるというか、下から当てに行っていますよね。それで、そういう
ニュアンスが生じているわけです。これは、どちらがいいというわけでなく、声質に違い
によってアプローチを変えている。その辺、なかなか侮れないと思います。

つりビットは素直に歌う子達ですが、歌ウマを前面に押し出している子達だとどうなるか。
絶妙な例があります。東京女子流の最新シングル「kissはあげない」を聴いてください。



この曲を初めて聴いた時「女子流もこっちに来るのか」とうれしくなりました。なかなかに
分かりにくい曲ですが、色々経てきた彼女達の実力をプレゼンするには格好の曲だと思いますね。

この曲は、バッキング(Bmin7→C#min7という和音を奏でている)とギターとか色んな音、
そしてボーカルと、それぞれの向かっている先がずれているという(特にバースで)形に
なっているわけです。コーラスでも、バックトラックを少しだけ裏切るようなメロディ、
というよりハモリですね。ドミナントのところでそうハモるかという音の当て方。それが
独特な味を出しているんですね。

今、この曲のポイントを簡単に述べましたが、歌い手にとっては非常に苦行と言えるのが
お分かり頂けるでしょうか。ハッキリ言ってバックトラックを頼れない。下手に頼っちゃうと
そこに引きずられてしまう。その中で歌メロとして完結しているように歌うのは難しい。

もっとも、これはレコーディングの音源ですので、バックトラックを聴かずに歌うという芸当
(それだって難しいんですけどね)は出来るのでしょう。ですから、これをライブでどう歌うのか
を聴いてみたいですね。

今回はかなり極端な例を出してみましたが、楽曲をどれだけ理解して歌っているかも歌い手の
価値として重要だと思うんですよ。そういう了解が広がるといいなあと思います。
posted by なんくい at 23:47| Comment(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月31日

洋邦楽理解説・温故知新#5 ママレイド・ラグ「悲しみにさようなら」

やばい。今月全然記事を更新してませんでしたね。そんなこんなで月末。楽理解説は
ちゃんとやります。最近マニアックになっていて、需要があるのかどうか分からなく
なってしまっていますが。

奇数月は邦楽の古い名曲を紹介し、その解説を行うわけですが、今月は読者泣かせだった
かも知れません。ママレイド・ラグというバンド自体知る人ぞ知る存在でしょうし、
その中でもこの曲はYouTubeにもないですから。探すのが困難かも知れません。
(ただ、Apple Musicにはちゃんと入っています)


ママレイド・ラグの名前を聞くようになったのは2002年辺りでしょうか。彼らが
メジャー・デビューした時ですね。この頃は渋谷系が斜陽になり始めた頃で、この手の
ポップなテイストのバンドには必ずしも順風が吹いていた時期ではなかったと記憶して
おります。ただ、キリンジが名曲「エイリアンズ」をリリースするのが2000年ですから、
ポップ・バンドでも本格的な匂いを持つバンドは強い支持を受ける土壌はあった時期
だったと思います。

その中でも彼らが傑出していたのは、ポップスとしての純度の高さ。非常に凛とした、
時代の波に影響を受けない「穢れのないポップワールド」にすぐ魅了されたことを
覚えております。1stアルバム「MAMALAID RAG」はよく聴きました。しかし、そんな
「頑固な職人気質」のせいか、リリースの間隔は長く、そうこうするうちにメンバーも
抜けていき、現在は田中拡邦さんのソロユニットとして活動を継続しております。
しかしながら、最近の音も聴いていますが、そうなってもクオリティが落ちるどころか、
そのポップスの純度は全く変わりがないというのが不思議というか何というか。

そんなママレイド・ラグの魅力を一人でも多くの人に知ってほしいというのが今回取りあげた
理由ですが、昨今の渋谷系ポップスのリバイバル近辺の音が好きな人なら絶対気に入るはず。
誰か田中さんに楽曲提供を依頼する、強者のアイドル運営の人いないでしょうかね。

今回取り上げる「悲しみにさようなら」は1stアルバムの1曲目に入っていた曲でして、
私にとってはママレイド・ラグとの出会いの曲でもあります。その意味でお気に入りの曲
という面もありますが、楽理的にも解説しやすい曲というのもあります。どーせやるなら、
読み応えのあるものにしたいですからねえ。

というわけで、サブスクで聴いて頂くしかないこの曲の解説に入っていきます。
先ずイントロでピアノやビブラフォンの音色が涼やかに鳴っております。ここは非常に
オーセンティックな、何てことのないイントロです。一応コードを拾っておきますね。
 |E|A/E|E|A/E|
 |E・BinD#|C#m・EinB|A|A|F#min7/B|F#min7/B|

先ほど何てことないと書きましたが、構成的に見るとなかなか侮れない。5小節目からいわゆる
カノン進行的に降りてきますが、2小節分は2拍ずつの間隔で降りて行って、その後に2小節
ずつの間隔でコードチェンジする。結果としてイントロは10小節といういびつな構成になって
いるわけですわ。これ、8小節に収めようとしたら後半4小節のコードを1小節間隔で動かせば
いいのですが、あえてそうせずに、構成をいびつにして余韻を出すようにしているんですね。

そしてAメロですが、ここもいびつです。先ず前半部をAとします。ここのコードがこう。
 |F#min7add9|F#min7add9|Amaj7/B|Amaj7/B|
 |F#min7add9|F#min7add9|Amaj7/B|Amaj7/B|
 |Emaj7|Amaj7|F#min7/B|Bsus4add9|

いわゆるツー・ファイブのコードに乗せて4小節のフレーズが2回繰り返され、そこからおまけ
のように4小節が加わる(一→四→五。ドミナントで終わっている、いわゆる半終止です)
という、ここもいびつな形。軽く一節加わっている感じですね。そこから、後半のAメロ
(ここをA’とします)に行きます。
 |F#min7add9|F#min7add9|Amaj7/B|Amaj7/B|
 |F#min7add9|F#min7add9|Amaj7/B|Amaj7/B|
 |Emaj7|Amaj7|F#min7/B|F#min7/B|
 |Emaj7|Amaj7|Esus2|E|
ビートも加わり躍動感が生まれ、そしてこちらはきっちり16小節になっています。そして後半の
8小節は先ほどの後半4小節と、その続きなんですね。つまり、先ほどでは歌いさしだった
Aメロの後半が、2回目では完結しているということです。前半で予告的に半分現れていると
考えることも出来るでしょう。このつくり、オシャレですよね。なかなか真似できないです
けど、いつかやってみたい手ですね。

そしてここが巧みなのは、そのAメロ後半の部分は、Aメロを繰り返す時にはハーフサイズで、
ここではドミナントでつながり、次にBメロに行くときにはフルサイズでここでは一の和音に
解決しているわけです。この辺の和音の使い分けも見事ですね。

そして、展開のあるBメロ。ちょっと転調的な展開を見せます。
 |Amin7|D7|Gmaj7|Cmaj7|Gmin7|C7|Fmaj7|Amaj7/B|
D進行的に動いていく転調の形ですが、巧みだなと思うのは3〜4と5〜6は、その再現
ながらメジャー→マイナーという変わり方をしている。その結果、4小節前からちょうど
長2度平行移動した形に転調しているわけです。そしてFmajorのコードからナポリの二的に
Bの和音に行くという、巷では珍しいけど当ブログ的にはよく出てくるパターンでEmajorに
戻っていきます。

そしてサビですね。ここも前半と後半に分かれていますが、ここは一気にコードを解説します。
 |E・C#min7|F#min7・B|E・C#min7|F#min7・B|
 |G#min7|C#7add9|F#7|Amaj7/B|
 |E・C#min7|F#min7・B|E・C#min7|F#min7・B|
 |G#min7|C#7|C#7|Amaj7・G#min7|F#min7・F#min7/B|
実際は最後の2小節のコードの変わり目は食ってるんですが、そこは解説のところで述べます。
前半も後半も、いわゆるマイナー展開(一→六→二→五)を繰り返す4小節からセカンダリー・
ドミナントを多用する4小節(進行的にはD進行)と分かれているのですが、ここのポイントは
C#のコードですね。前半ではナインスの音を混ぜて独特の濁りを生んでいて(非常に済んだ
曲ですので、逆に濁った感が目立つ)後半はメロディ的にも最高音の伸ばしで、そこに合わせて
1小節分余分に伸ばしています。こういう小節の余らせ方(途中ですもんね)も巧みです。
そして最後2小節は、付点4分音符ずつコードチェンジしていて、ですのでG#min7は半拍分、
F#min7は1拍分食っているわけです。ちなみに最後のF#min7/Bは「ずれのポリリズム」
から態勢を立て直していて、半拍ずれているだけです。

これで1コーラス解説しました。ここからは全体の構成を見ていくことになります。サビ終わり
の間奏は4小節でサラッと終わり、それはイントロの頭4小節を流用していますが4小節目だけ
F#min7/Bのコードに変わっています。

2コーラス目はA’から始まっている他は同じ。少し短くしているってことです。あるいは
こちらが本来で、1コーラス目のAが長いと考えた方が適切かも。

2コーラス終わりの間奏は、一応ギターソロという体裁を取っていますが、地味にフレーズを
弾くだけのBGM感の強いもの。コードはサビの進行を流用していますが、少し違うのは
こうなっております。
 |E・C#min7|F#min7・B|E・C#min7|F#min7・B|
 |G#min7|C#7add9|F#7|F#7|A/B|A/B|
最後の2つ分を2小節単位での動きにして小節を余らせるのは、イントロで用いているのと同じ
手法ですね。

そして最後のサビは半音上がってFmajorに転調しているのですが、最初の小節で楽器隊の
音を抜き、ボーカルとドラム(タッタカタッタカとフロアタム辺りを叩いている)のみに
なっている。半音上がるというありがちな転調を新鮮に聴かせるための手法だと言える
でしょう。そしてサビは前半の8小節を繰り返して3回しになっている。これが4回し
でなく3回しなのがポイント。通常の1.5倍の長さなんですね。引き延ばしているけど
冗長にならない。ここもなかなかに巧みです。

そしてアウトロは、イントロの半音上を忠実に再現しています。ということは最後ドミナント
で終わるわけですね。最近ポップスで増えてきた、余韻を持って終わらせる手法ですが、
当時は結構新鮮だったと記憶しています。ダンスミュージック的ナンバーで多いのですが、
余りに多すぎるとちょっと食傷気味かもと、最近は思っております。


いかがだったでしょうか。田中拡邦さんの書く楽曲の凛とした佇まいを少しでも解明出来て
いればいいなあと思います。次回は洋楽。どんどんマニアックに行きます。The Moveという
60年代から70年代初頭に活躍したバンドの「Chinatown」というシングルを取り上げます。
事前に聴いておいてくださいね。これは簡単に聴けます。
posted by なんくい at 12:00| Comment(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする