2017年05月14日

祝30周年!エレカシの極私的30曲(16)夢のかけら

季節は夏から秋へ、鮮やかに変わるような曲でした。

エレカシの極私的30曲という短期連載記事を書いています。今回は16回目。
アルバム『愛と夢』の先行シングルだった「夢のかけら」をお送りします。

前作のシングル「はじまりは今」はブレイク期の余韻を残している曲でしたので
この曲を最初に聴いた時にも、その余韻で聴いていたような記憶があります。
それは、オープニングのフレーズ(サビ始まりなんですこの曲)「夢のかけら僕らは/
いつまでも追いかけるのさ」という前向きなフレーズにも引きずられていたのかも。

ただ、今聴いてもらえると分かる通り、明らかにモードが変わったことを告げる曲
ですよね。ちょっと黄昏てしまっているというか。それを「夏から秋へ」と冒頭で
例えたわけですが。秋風が吹き始めたことに気づかずに、次のシングル「ヒトコイシクテ、
イヲモトメテ」でギョッとするという(笑)。あれは「冬の曲」というくらい、暗い曲
ですからねえ。(そしてアルバム「愛と夢」も非常に黄昏たモードになっている)

「夢のかけら」に戻ると、この曲実は結構複雑な構成をしているんですよ。頭サビの後
なかなかサビにいかない。Aメロ〜Bメロ〜Aメロ〜Cメロと来てサビ(つまりDメロ)
になるんですね。そして2コーラス目もAメロ〜Bメロと来てギターソロ(ただバックは
Aメロなので、1コーラス目と同じ構成でボーカルが抜かれたものと考えることは出来る)
の後、Cメロが倍の長さになり、最後のサビも倍の長さになる。Cメロとサビが倍の長さに
なるに従って、つなぎのような部分が出来ているのですが、それがまたハッとするような
絶妙なつくりなんですよ。そこも、魅力的なんです。

今振り返ると、この時期のエレカシはブレイク疲れもありつつ、より文学志向に走りたい
作家宮本の本能と、大衆的でありたいという意志とがせめぎ合う、実は結構スリリングな
時期でもありまして。それがある種混乱したような楽曲のトーンとなっていて、そこが
不思議な魅力を放っている。そんなアルバムだという印象です。いつも聴きたいアルバム
というわけではないのですが、私自身も混乱しているときに、たまらなく聴きたくなる
(そんな時には普通に前向きな曲に食指が動かないものです)時があります。
posted by なんくい at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽とは | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月12日

浦和レッズ森脇良太選手に贈りたい「差別とは何か」

今日は便乗記事です(笑)。というか、ニュースを見ていてコメントしたく
なってしまったんです。それも、Twitterでなく、きちんと残る形で。

タイトルにも書きましたが、浦和レッズの森脇良太選手が試合中の暴言で問題に
なっていました。その処分が先日発表されたということで話題になっています。

暴言騒動の森脇処分は灰色決着で良かったのか?

ここで、森脇選手が「自分は差別的意図はなかった」と一生懸命強弁していて、違和感を
感じたんですよ。いや、気持ちは分かるし、その「差別的意図」云々で処分の重さも
変わってくるでしょうから、そこが死活問題になってくるというのも分かります。ただ、
彼の振る舞いをみていると「この人、差別を分かっていないな」と感じたのも事実。

そこで、もし彼が「本当に」反省しているのなら、この機会に差別について勉強されたら
いいのではないか、という趣旨で記事を書きます。何かの間違いで森脇さん本人が読んで
くれたらそれがベストですが、そうでなくとも、この件で森脇選手を叩いている人達にも
同様の違和感を感じるので、是非読んで頂きたいです。

ちなみに、この連載をずっと読んでくれている方には、もう「あの話だな」とピンとくる
かと思います。その意味では基本の話、つまり復習記事になります。これまで書いてきた
ことを参照しつつ、この問題ではどう考えるのかを書いていきます。

本当は、この「表現の自由と差別」の連載を全部読んで頂きたい(手前みそながらいいこと
結構書いてますよ)のですが、そんなヒマのない方はここに書くことが基本のキです。
(といっても要約なので表現は難しいです。分かりにくいという方はリンクしている記事を
 参照してもらえればもう少し分かりやすくはなっているはずです)

先ず、この問題について私が一番感銘を抱いた記事を読んで頂きます。

【英国人の視点】浦和・森脇の暴言騒動、処分確定も深めるべき議論。レオ・シルバ「言葉の暴力も根絶を」

この記事、差別の問題から見ても非常にいい点を突いています。つまり「本当に」
森脇選手に差別的意図があったかどうか、というのは実はそんなに重要な論点で
ないんですよ。そこを強弁しようとする森脇選手も、ほじくり返そうとする周りも、
差別についての無知をさらけ出すことになっているのです。

では、そもそも差別とは何か、何が問題なのかという基本から考えましょう。私は以前
「差別とは社会的に固定化された悪感情だ」という定義を書きました。つまり、差別か
どうかを決めるのはあくまでその時の社会的状況であって、本人に差別的意図があるか
どうかはほぼ関係ありません。ですから、本人が意図しなくても差別的な言動をして
しまうことも十分にありえます。だからこそ、責任のある立場の人は、差別について
「勉強」する必要があるのです。

では差別がなぜいけないのか、なぜ根絶しなければならないか、について、単なる憎悪表現と
の違いに即して考察したことがあります。それは、単なる暴言ならばその個人の悪意が吐露
されただけですが、差別表現になると、そこに「社会的に固定化された悪意」が加わるから
より悪質なのだ、という趣旨のことを書きました。

また、別の観点から「その人に社会的地位があるほど、差別的表現をしてはならない」
という趣旨の記事を書いたこともあります。つまり、社会がより差別的になるような
言動は慎まないといけない、ということです。サッカー界でここのところ差別に関する
色んな問題が起きていますが、それは社会がそれだけ「ヤバい」ことの反映でもある
わけです。(その他の問題についてはコメントしませんが、私の過去記事を読んで
頂ければ、私の考えはそこで表明しております。そこに付け足すことはありません)

ただ、私は森脇選手の言動が「差別的であった」か否かは、実はそれほど大事な問題
ではない
と考えます。それによって処分の内容が変わってくるでしょうから当事者に
とっては大事なことなのでしょうが、そこはこの問題の「本質」ではないと私は考えます。
肝心なのは、感情的になりとってしまった言動の「後の」部分です。

この問題については以前に「相互行為」という観点から記事を書いたことがあります。
実はこの点こそが私がこの問題について訴えたいことです。

私は、この問題が明らかになってからの森脇選手の言動の方が、問題の根が大きいと
考えます。小笠原選手が抗議した後に、それを聞いた森脇選手は「彼の人間性を疑う」
という趣旨の発言をされたと聞きます。私はそちらの方に腹を立てましたし、今もって
そのことに対する反省がないことの方が問題が大きいと思います。

森脇選手は差別についての指摘を受けた後に、自分を守ろうとするあまり、告発した
小笠原選手をディスるという言動に出てしまいました。私の記事に書いたKeith Ape
が当事者に会って誤解を解こうとしたのと反対の行動をしているわけですよ。
彼のした言動は、差別についての対話を閉ざす行為ですよ。誰が「人間性を疑われる」
と言われた人と対話しようと思いますか?

ただ、この連載に書いた相互行為の観点から言えば、今からでも遅くないと言えます。
彼が今回の件をきっかけに差別について学ぶ姿勢を見せることで、彼の言動への
「誤解」を解くことになると言いたいです。レオ・シルバ選手は「処分が出てから
謝ってももう遅い」と言ったと伝えられていますが(これは前後が切り取られている
気がするので、ちょっとコメントしづらいです)差別についての言動に、遅いことは
ないのだと私は主張します。

そして最後に。今になってまだ「処分が軽い」だの「森脇選手は本当は差別的意図が
あったのだろう」とか言っている人は、気持ちは分かりますが本来の趣旨とはズレて
しまっています。スポーツマンシップとは、一度裁定が出たらそこに不満があっても
そこに従うことが潔いとされています。それに、より大事なのはサッカー界全体として
差別的言動をなくすことですから、いたずらに憎悪を助長することは、より差別の芽を
撒くことにつながります。今回の件から、差別についてより学ぶ風潮が生まれることで
再発を防ぐことが出来ますし、同様の問題が生じた時により良い対応も出来ることでしょう。
そこにささやかながらも貢献したいと願って、この記事を書きました。
タグ:差別
posted by なんくい at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 表現の自由と差別 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月09日

Spitz草野マサムネのメロディ10の秘密#6平行移動

非常にごぶさたしてしまっていたスピッツの連載も再開いたします。
といっても、ここから先は細かすぎて需要がないんじゃないかなあ。
ボカロPが10人くらい? まあなるべく分かりやすくするつもりですが。
(著作権の壁があるので限界はあるんだけどね)

今回は平行移動というものを特集します。平行移動というのは、あるフレーズ
を続ける時に、音形はそのままに音の高さを変えるというもの。具体的に
簡単なフレーズを作ってみたので、聴いてみて下さい。

parallel movement01.mid

最初のフレーズがG→F→E→D→C→D→Eとメロディが動きます。それに対して、
次のフレーズは2度上に移動させています。Aから始まっていますよね。そしてその次の
フレーズはさらに2度上に移動させていることが分かって頂けますでしょうか。ただ、
一般的に3番目のフレーズのところで少し変えて4番目のフレーズにつなげるように
メロディを作ることになるのですが。

ちなみに平行移動というのは上へ移動するとは限りません。先ほどのメロディを、今度は
下に2度ずつ移動させるとこうなります。

parallel movement02.mid

草野マサムネさんは、この平行移動の名手と言って差し支えないでしょう。これまで
発表した曲の方々で見ることが出来ますし、そのバリエーションも豊富です。
この連載の1回目で取り上げた「サンシャイン」のサビもB→AからC#→Bと2度上
への平行移動ですし、第3回で取り上げた「夕陽が笑う、君も笑う」のサビも、2度下
への平行移動です。同じく第3回で取り上げた「水中メガネ」も、2小節単位の
フレーズと捉えると、2度上への平行移動を3連チャンで行っていると解釈できます。

こういう平行移動は『とげまる』収録の「聞かせてよ」のAメロ(2度上への平行移動)
や同じく『とげまる』収録の「えにし」のサビ(こちらは4度上へ平行移動)など、
枚挙に暇ないほどなんですが、ただ純粋に平行移動させるだけなら、その手法を
学ぶのは非常に簡単です。これから紹介するのは、少し複雑な処理をしているもの
です。ここからはかなりマニアックになります。

その前に、先ずは理論的な話を少々。ここまで何の断りもなく「平行移動」と呼んでいますが、
実際に純粋な平行移動をさせると周りの音とぶつかってしまうのがオチです。

parallel movement03.mid

そこで周りの和音を変えるとすると、今度はかなり不自然なコード進行になってしまいます。
(これはこれで味はあるんどえ、使いようによっちゃあ効果的ですけども)

parallel movement04.mid

そこで、普通は周りのコードに合わせてメロディの音高を微妙に調節しています。
上の一番最初の例の場合は、2回目のフレーズで3番目の音を半音下げる、つまり
ここだけ長2度移動でなく短2度移動させることで自然な音になります。普通は
半音単位で考えるのでなく、純粋にその調の構成音の中で平行移動させる(つまり
楽譜の上で平行移動させる)と自然になります。ただし、周りのコードで借用和音を
用いたりする際には、それに合わせて微妙に上下させたりします。

そのような例の代表としては「ロビンソン」のBメロでしょうかね。



このBメロは、最初のフレーズから2番目のフレーズへは2度下へ平行移動させてあり、
(最後だけ変えていますが)3番目のフレーズは最初と同じ高さへ戻っているのですが、
その時に周りの和音に合わせてAを半音上のA#に変えてあります。(「ありふれたこの
魔法で」の「ま」のところ)

さらにマサムネさんは、周りの和音との絡みで純粋な平行移動でない改変をしばしば
行っています。そのやり方が、実に理に適っているんですよ。

先ずは、ファンの間では殿堂入りするくらいの人気曲「猫になりたい」(『花鳥風月』に
収録されています)のサビから解説します。このフレーズは、基本は2度上への平行移動
なのですが、1音だけ平行移動せず「残して」ある箇所があるんですよ。「君の腕の中」
の「で」のところ。ここは本来F#のところEになっている。それによってA→C#→E
→G#とメジャーセブンの音形になっているんですよ。

実はここの部分、キモになるのはEの次のG#のところでして。ここでコードがA→F#m
に変わっていて、そこでベースに対して9度で当たることになる。その音を効果的に響かせる
ために、その前の音をF#からEにして、ずっと3度で音が上がっているようにしてある。
それは、A→F#mという和音もちょうど3度下の似た和音になることもその効果をもたらす
要因になっていたりします。

さらにもう少し周りを見渡すと、サビのコード進行はE→B/D#→C#m→E/B→Aといわゆる
カノン進行でずっと2度ずつ下がってきているのですが、この箇所になると3度下に下がる。
そのコードの動きの変化も、ここでメロディの音形が微妙に変わることを裏付けていると
いってもいいと考えます。例えばここで、最初のメロディの方を2番目のメロディに合わせて
3度ずつ上がる構成にしても(具体的には「猫になりたい」の「な」のところを、E→D#に
するということ)かえって不自然で全然効果的にならないんですよ。それは周りのコードとの
絡みで、コードの変わり目のF#(2回目のG#にあたるところ)がバックの音と自然に溶け込む
音だからです。ここはむしろ、次のG#の方がコードの6度に当たる音で(ちなみにベースとは
4度。転回形だからそうなります)ここで丸みというかまろやかさを生んでいる箇所なんです。
こういう1か所の改変だけで、劇的に効果を生むわけですよ。

もう一つだけ、特殊な平行移動を見ておきます。同じく『花鳥風月』に収められた「旅人」の
Bメロ。ここは平行移動と残す箇所とが混在している、非常に特殊な呼応の形です。最初の
フレーズはEで始まり、A→G#→F#という上の音を行き来してからC#→Bと下がるのですが、
次のフレーズはその下がったBから始まり、次のA→G#→F#のところは同じ高さに残し、
下がるところはB→Aと2度下に平行移動しているんです。結果非常に奇妙な音形になって
いるんですが、よくよく分析してみると非常に理に適っていることが分かります。

先ず最初のB→Aという上がり方は7度跳躍になりますね。そしてA→G#→F#のところは
メロディは同じでも周りのコードが違うので効果が異なるわけです。最初のコードはF#mで
従ってAが3度F#が1度と自然にコードと溶け合うのですが、2回目の時のコードはEで
従ってAは11度F#は9度と非常にコードから浮く危険な当たり方をしているんですね。

ここでもし、最初のBを除く全部を同じ高さにしていると次のC#→Bも奇妙な当たり方を
します。(6度→9度)でもそこではそうせずに、平行移動させることで穏当な当たり方を
するようになっている。つまり、危険な当たり方をしているだけでは回収されないんですね。
緊張→緩和という動きをもたらすことで音楽は落ち着きを見せるというか、ここでメロディは
きちんと収束させないと訳が分からなくなる。ほどよく実験的でないといけないんですね。
その辺のさじ加減が、マサムネさんは絶妙なんですよ。

今日はこのくらいにしておきます。非常に細かくて訳が分からなかったかも知れませんね。
でも、メロディを実際に作っている方なら、非常に参考になる記事なのではないかと密かに
自負しております。(なので、仲間のボカロP10人ほどにだけ通じれば満足ですww)

この連載、さらにさらにディープになります。次回も呼応ネタにします。
posted by なんくい at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする